1974年6月10日、アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」がリリース~YMOプロジェクトのひとつの原点がここに

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香港のタレントとして活躍していたアグネス・チャン(本名:陳美齡)が、来日してシングル「ひなげしの花」(作詞:山上路夫 作曲:森田公一/編曲:馬飼野俊一)でデビューしたのは1972年11月25日のこと。日本語にまだ慣れていないアグネスが、「丘の上」をたどたどしく歌う姿が評判になり、アグネスの素朴で清冽なイメージはたちまち浸透した。

1974年6月10日、アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」がリリース~YMOプロジェクトのひとつの原点がここに
翌1973年には、「小さな恋の物語」(作詞:山上路夫 作曲:森田公一/編曲:馬飼野俊一)でチャート1位(58万枚)に上りつめたほか、「妖精の詩」(作詞:松山猛/作曲:加藤和彦/編曲:馬飼野俊一)は5位(27万枚)、「草原の輝き」(作詞:安井かずみ/作曲:平尾昌晃/編曲:馬飼野俊一)は2位(44万5千枚)と、アイドル歌手としての地位は不動のものとなった。

1974年6月10日、アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」がリリース~YMOプロジェクトのひとつの原点がここに
1974年2月25日に5枚目のシングル「星に願いを」(作詞:山上路夫/作曲:森田公一/編曲:馬飼野俊一)が発売されるが(チャート4位・34万枚)、このシングルを収録した5作目のアルバム『アグネスの小さな日記』(同年3月25日発売)では、当時の音楽業界に根を張り始めたフォーク系、ロック系のアーティストやシンガー&ソングライター・ブームを意識して、荒井由実などのバックとして斬新なサウンドに挑戦していたキャラメル・ママ(細野晴臣:ベース 鈴木茂:ギター 松任谷正隆:キーボード 林立夫:ドラムス)が起用されることになった。キャラメル・ママは、はっぴいえんどのメンバーだった細野と鈴木、小坂忠とフォージョーハーフのメンバーだった松任谷と林が1972年に結成したグループで、バンドというより「サウンド・プロデュース・チーム」として活動していた。

1974年6月10日、アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」がリリース~YMOプロジェクトのひとつの原点がここに
この時キャラメル・ママが参加した録音は、「ポケットいっぱいの秘密」(作詞:松本隆/作曲:穂口雄右)、「想い出の散歩道」(作詞:松本隆/作曲:馬飼野俊一…矢野顕子のカバーでも知られる)、「さよならの唄」(作詞:アグネス・チャン/作曲:アグネス・チャン)の3曲で、基本的なアレンジも彼らに一任された。前年の10月5日に発売されたチューリップの4枚目のシングル「夏色のおもいで」で職業作詞家としてスタートした松本隆を起用したのも、アグネスの制作陣がはっぴいえんど時代に松本が磨きあげた斬新な言語感覚に期待したからで、松本にとっても初の「歌謡曲」への挑戦となった。ただし、キャラメル・ママと松本は当初からパッケージで起用されたわけではなく、それぞれ別個に起用されたとのこと。同じプロジェクトに参加していることは、レコーディングが動きだしてから初めて気づいたという。

「ポケットいっぱいの秘密」は1974年6月10日にシングルとして発売されたが、これはシングル・バージョンであり、アルバム・バージョンとはかなり異なっている。

1974年6月10日、アグネス・チャン「ポケットいっぱいの秘密」がリリース~YMOプロジェクトのひとつの原点がここに
アルバム・バージョンは、ザ・バーズやバッファロー・スプリングフィールドあたりを意識したような鈴木茂のカントリー・タッチのギター・ソロで始まり、細野のフラット・マンドリンが、まるではっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」のごとく弾けている。間奏部分では、大滝詠一『ナイアガラ・ムーン』(1975年)に直結するような松任谷のラグタイム風、ニューオリンズ風のピアノが炸裂する。軽快かつタイトな細野のベースと林のブラッシング・ドラムが骨格を支えていることはいうまでもない。あらためて聴くと、細野が最近のステージで展開するサウンドに酷似している。驚くほど深みのあるサウンドで、何度聴いても飽きることはない。

シングル・バージョンは、おそらくは駒沢裕城(当時はちみつぱい)が弾いていると推定されるペダルスチールギターがイントロを飾る。これは、1970年代初めの日本の洋楽シーンを席巻していたカーペンターズの大ヒット「トップ・オブ・ザ・ワールド」などを意識した演出で、アルバム・バージョンにはない仕掛けだ。ペダルスチールに鈴木のギター、細野のフラット・マンドリンが絡むところもおもしろい。ここでも松任谷はラグタイム風ピアノに挑んでいるが、アルバム・バージョンよりも薄めの仕上がりだ。細野のベースと林のドラムはシングル・バージョンでもしっかりとした屋台骨になっている。中盤以降、東海林修の編曲によるストリングスが被さってくるが、キャラメル・ママの醸しだすバンド・サウンドとの相性はけっして悪くない。

アグネスの歌唱も、キャラメル・ママのサウンドに調和していて違和感はない。アグネス自身もこの作品の直前に、カーペンターズの「トップ・オブ・ザ・ワールド」をアルバムでカバーしていたから、気持ちよく歌えたのではないかと思う。ただし、同じくキャラメル・ママが参加した「想い出の散歩道」と「さよならの唄」でのアグネスの歌唱はサウンドに力負けしており、「ポケットいっぱいの秘密」の完成度には遠く及ばない。そこは残念なところだ。

この「ポケットいっぱいの秘密」は、先にも触れたように1974年6月10日にリリースされたが、セールス的にはチャート・アクション最高位6位、売上げ枚数22万3千枚と、以前のシングルよりいくらか見劣りするものとなった。

とはいえ、この作品をきっかけに松本隆の作詞力は業界で高く評価されるところとなり(歌詞の途中に先頭の文字を拾うと「ア・グ・ネ・ス」となる節句が織りこまれていることも有名)、以後、アグネスと同じ渡辺プロダクションに所属する作詞家として数々のヒット曲を手がけていく(ナベプロとの専属契約ではない)。

キャラメル・ママはその後ティン・パン・アレーと改称して活動の場をいっそう広げることになるが、1970年代終盤に始まるYMOプロジェクトのひとつの原点が、この「ポケットいっぱいの秘密」の成功によって準備されたことも疑いのないところだ。

アグネス・チャン「ひなげしの花」「小さな恋の物語」「ポケットいっぱいの秘密」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】篠原章:批評.COM主宰・評論家。1956年生まれ。主著に『J-ROCKベスト123』(講談社・1996年)『日本ロック雑誌クロニクル』(太田出版・2004年)、主な共著書に『日本ロック大系』(白夜書房・1990年)『はっぴいな日々』(ミュージック・マガジン社・2000年)など。沖縄の社会と文化に関する著作も多い。
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