大人のMusic Calendar

1978年5月21日リリースの沢田研二20代最後のシングルは?

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“ダーリン”が“愛しい人”を意味する英語だと知ったのは小学2年生の時だった。そう、「ハロー!ダーリン」で始まる「恋のダイヤル6700」(73年/フィンガー5)が大流行したからだ。洋楽では頻繁に使われるこの単語、1960年代にブームとなったカバーポップスでは使用例が散見されるが、そのあとに生まれた筆者にとっては、フィンガー5の歌が人生で初めて認識した“ダーリン”。その後「ルージュの伝言」(75年/荒井由実)を経て、第二の洗礼を受けたのが、ジュリーこと沢田研二が歌う「ダーリング」であった。

1948年6月25日生まれの沢田研二は、ザ・タイガースのボーカルとして、67年2月に「僕のマリー」でデビュー。バンド解散後は、萩原健一らとPYGを結成し、71年11月には「君をのせて」で本格的なソロデビューを果たす。その後はTOP10ヒットを連発し、「危険なふたり」(73年)、「追憶」(74年)、「時の過ぎゆくままに」(75年)、「勝手にしやがれ」(77年)の4作がオリコン・シングルチャートの1位を獲得。77年には「勝手にしやがれ」で日本歌謡大賞と日本レコード大賞のダブル受賞を達成するなど、文字どおり歌謡界の頂点に君臨する。


だが当時は「大賞の翌年は苦戦する」という“2年目のジンクス”があった。それを意識したのか、78年の沢田はそれまで敬遠していたバラエティ番組にも出演するなど、年明けから精力的に活動。1月21日に発売された「サムライ」は、ナチスのハーケンクロイツを腕章にした衣装が物議を醸し、途中で変更を余儀なくされたが、オリコン2位をマークし、まずは順調なスタートを切る。そして30歳を目前にした5月21日、23枚目のシングルとしてリリースされたのが「ダーリング」であった。同作を手がけた阿久悠(作詞)×大野克夫(作曲)のコンビは「時の過ぎゆくままに」以来7作目、編曲の船山基紀は「さよならをいう気もない」(77年)以来5作目の起用。ファッション誌のグラビアを思わせるジャケットのアートワークは「危険なふたり」以来、衣装デザインも手がけていた早川タケジが担当した。



初めて「ダーリング」というタイトルを耳にした時は「なんで“グ”が付くんだろう」と、些か不思議に思ったものだが、それが映画の題名に由来すると知ったのは、だいぶあとになってからのことだった。自他ともに認める映画マニアの阿久は、他の歌手にも「また逢う日まで」(71年/尾崎紀世彦)、「さよならをもう一度」(71年/尾崎紀世彦)、「絹の靴下」(73年/夏木マリ)、「さらば友よ」(74年/森進一)、「若き獅子たち」(76年/西城秀樹)など、映画と同じタイトルの作品を多数提供しているが、沢田に対しては特に思い入れがあったのだろう。初めて作詞を担当した「時の過ぎゆくままに」のタイトルは、米国映画『カサブランカ』(42年)のテーマ曲「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」に由来、「憎みきれないろくでなし」(77年)では、同映画主演のハンフリー・ボガートの名台詞「そんな昔のことは覚えていない」「そんな先のことは分からない」を想起させるフレーズを織り込んでいる。さらに「勝手にしやがれ」は60年公開の仏映画、「サムライ」は67年公開の仏映画と同タイトルとするなど、“洋画路線”が続いており、この「ダーリング」もその流れに沿うものだったのだ。

ちなみに映画の『ダーリング』は日本では68年に公開されたイギリス映画で、監督は『真夜中のカーボーイ』(69年)でアカデミー監督賞を受賞したジョン・シュレシンジャー。「ダーリング」と呼ばれて甘やかされた少女が、様々な男と関係を結びながら、モデル、映画スター、小国の王妃…とのし上がっていく半生を皮肉交じりに描いた作品で、主演のジュリー・クリスティにアカデミー主演女優賞をもたらした。奇しくも“ジュリー”という愛称を持つ男に「あなたがほしい」と連呼させる沢田版「ダーリング」は、映画を知り尽くした阿久ならではの洒落心が込められた作品だったといえるだろう。

当時のジュリープロジェクトはほとんどが詞先だったというが、この阿久の詞に対し、大野はギターリフが印象的なアップテンポのマイナーチューンを提供する。大野は2003年から2008年にかけて、自身が制作したデモテープ音源を収録した『幻のメロディー』というシリーズを5タイトルリリースしているが、そこに収められた「ダーリング」を聴くと、デモテープの段階で、イントロもサウンドもほぼ出来上がっていたことが分かる。一方、デザイナーの早川は、映画『錨を上げて』(45年)で水兵を演じたジーン・ケリーやフレッド・アステアをイメージしたセーラー風の衣装を用意。歌う沢田は「愛する女を他の男にとられないよう、唾をつけておく」という意味も込めて、指舐めのアクションを披露するなど、一級のエンターテイナーぶりを発揮する。


こうして完成した「ダーリング」は78年6月5日付けのオリコンで5作目のシングル1位を獲得。人気番組『ザ・ベストテン』(TBS系)では自身最長の7週連続1位を達成するなど、大ヒットを記録する。余談になるが“ダーリン”が登場する邦楽でオリコン1位を獲得したのは前出の「恋のダイヤル6700」が第1号。「ダーリング」は2作目で、その次が田原俊彦「誘惑スレスレ」(82年)。以後、松田聖子「天国のキッス」(83年)、近藤真彦「ロイヤル・ストレート・フラッシュ」(83年)、小泉今日子「渚のはいから人魚」(84年)…と続き、“ダーリン歌謡”は完全に定着するのである。

沢田研二「勝手にしやがれ」「サムライ」「ダーリング」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】濱口英樹(はまぐち・ひでき):フリーライター、プランナー、歌謡曲愛好家。現在は隔月誌『昭和40年男』(クレタ)や月刊誌『EX大衆』(双葉社)に寄稿するかたわら、FMおだわら『午前0時の歌謡祭』(第3・第4日曜24~25時)に出演中。近著は『ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛人』(シンコーミュージック)、『作詞家・阿久悠の軌跡』(リットーミュージック)。

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