大人のMusic Calendar

1985年5月6日、チェッカーズ主演映画『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』サウンドトラックがオリコン・アルバム・チャート1位を獲得

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1985年5月6日、チェッカーズの主演映画『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』のオリジナル・サウンドトラックが、オリコン・アルバム・チャート1位を獲得した。チェッカーズはここまで、ファースト・アルバム『絶対チェッカーズ!!』、セカンド『もっと!チェッカーズ』でいずれもアルバム・チャート1位を獲得しているが、主演映画のサントラまでもが首位を獲ったとは、如何に彼らの人気が凄まじかったかを物語っている。

もともとサントラは一定の数字は稼ぐものの、それほど売れる商品ではなかった。要は映画やドラマがヒットしてはじめて売れる商品であるからだが、この頃から洋画では78年の『サタデー・ナイト・フィーバー』、83年の『フラッシュダンス』84年の『フットルース』のように、様々な楽曲を収録したコンピレーション的なつくりのサントラが、ことに80年代以降はMTVの流行とともに日本でもヒットするようになった。映画を観る前に、あるいは観なくても音だけは聴くという層が増えてきたのである。逆に、邦楽の場合は77年の『宇宙戦艦ヤマト』をのぞけば79年の『西遊記』(ゴダイゴ)や81年の『セーラー服と機関銃』(薬師丸ひろ子)など、アーティスト人気で爆売れする現象が起き始める。83年には松田聖子の主演映画『プルメリアの伝説』のサントラまで、1位を獲得しているのだ。

80年代初頭から中期にかけては、アイドル映画の全盛時代。70年代にもアイドル映画は存在したが、郷ひろみ『さらば夏の光よ』(76年)など秀作は何本か出たものの、結果としてみんな映画から撤退し、唯一山口百恵・三浦友和の主演シリーズだけが一定の成果を収めた。だが80年代に入ると薬師丸ひろ子の大ブレイクに始まる角川映画アイドル路線の成功、加えて「たのきんトリオ」の爆発的人気が引き起こした田原俊彦、近藤真彦主演の「たのきん映画」が大ヒットし、百恵作品に変わって東宝の盆暮れを飾る看板作品となった。これに追随する形でチェッカーズが放った主演映画第1作が『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』である。

映画の中で、チェッカーズはメンバー全員が実名で登場するが、実は彼らは人間ではなくタヌキだった。彼らは超能力研究機関「オペレーション・ランプーン」に追われている身で、人間に化けて東京へ向かい、そこで様々な人に出会い「チェッカーズ」を名乗って人気バンドとなる。だが、うっかりタヌキが持つ超能力を使ってしまい、これが原因でフミヤが誘拐され、敵の本部に監禁されてしまう、というお話。つまりこれはリチャード・レスター監督のビートルズ映画『ヘルプ!4人はアイドル』(65年)のストーリーや設定を拝借して作られているのだ。


『ヘルプ!』ネタがバンド映画に使われることは多く、ことにGS全盛時代に数多く作られた、いわゆる「GS映画」では『ザ・スパイダースの大進撃』(68年)『進め!ジャガーズ敵前上陸』(68年)などで既に引用されており、本作は久しぶりの『ヘルプ!』ネタ映画でもあった。ただ、主人公たちを「実はタヌキ」にした設定が面白く、二枚目キャラだけではないチェッカーズらしさが存分に発揮されている。

映画の終盤、砂浜で、ピンクのキャデラックに乗ったメンバーたち(と遠藤由美子)を膨大な人数のファンが取り囲むシーンは圧巻で、ここで「あの娘とスキャンダル」を歌うシーンは本作の白眉で、当時の彼らの圧倒的な人気ぶりがうかがえる。

監督は日本映画の傑作『竜二』(83年)を撮った川島透。その『竜二』に主演し、映画公開中に33歳の若さで病死した金子正次が遺したシナリオを、柴田恭兵とジョニー大倉の共演で映画化した『チ・ン・ピ・ラ』(84年)が監督第2作であり、この『チ・ン・ピ・ラ』の共同制作者に名を連ねているフジテレビの日枝久(この時期は取締役編成局長)との関係から、川島が『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』の監督も引き受けたという流れである。ゆえに同作には柴田、大倉が顔見せ出演している。また、同作はフジサンケイグループの肝入りで製作された映画で、製作総指揮を当時のフジテレビ代表取締役副社長だった鹿内春雄が執り行っている。鹿内はその2年前に『南極物語』(83年)で、日本映画の興行記録を塗り替える大ヒットを飛ばしており、この時期から映画製作に熱心であった。チェッカーズ所属のキャニオン(現ポニーキャニオン)もフジ=サンケイグループであることから、『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』は同グループが総力をあげてヒットに導いた映画であったのだ。ちなみに映画は当時の配給収入で10億円を超える大ヒットとなり、1985年度の日本映画興行ランキングで8位となった。

映画のキャストで気になるのは、マネージャー役の尾藤イサオ。この時期、チェッカーズのシングル曲を数多く作曲していた芹澤廣明は、60年代に「バロン」という尾藤イサオのバックバンドに属していた。そういった関係もあり、また尾藤がロカビリー末期に歌手デビューしてスターになっていることも、本作のキャスティングにふさわしいものであったと言えよう。

同作のサウンドトラックでは、劇中で流れる彼らのヒット曲「涙のリクエスト」「星屑のステージ」に加えて「ムーンライト・レヴュー’50S」や「危険なラブ・モーション」などのオリジナル曲、さらには「オー・キャロル」「ハウンド・ドッグ」「ツイスト・アンド・シャウト」などのオールディーズナンバーまで収録されており、映画のフィフティーズ的イメージとピッタリ合った選曲も見事。チェッカーズはデビュー前のアマチュア時代、オールディーズ・ロックンロールやドゥーワップ・ナンバーを得意としていたグループだっただけに、これらの曲もレパートリーとしていた。ゆえに、本盤の演奏もオリジナル以上にノリが良く、こういった方向のセンスやノリには長けていることを証明している。これらのオールディーズ・カヴァーは本盤以外には収録されていないため、チェッカーズの新作アルバムのつもりで聴いていたというファンも多いだろう。ピンクのキャデラックもそうだが、映画では随所にフィフティーズ的なアイテムが散りばめられ、彼らの音楽を引き立てている。

この翌年、チェッカーズは映画第2作『SONG for U.S.A.』を製作しており、こちらもまたメンバーが本人役として出演。『TANTAN たぬき』のポップでコミカルなエンターテインメントから一転して、ニューヨークに渡り現地の黒人ミュージシャンたちとの邂逅により、自分たちの音楽をもう一度取り戻そうとするメンバーたちの姿を描く、ドキュメンタリー的なつくりになっている。こういう方向性はビートルズが映画『レット・イット・ビー』(70年)にたどり着いたのと似ており、ザ・タイガースの映画製作の流れにも近い。実際、シリアスムードのこの映画を発表し、同名の主題歌をリリースして以降、チェッカーズは従来の売野雅勇=芹澤廣明コンビの手を離れ、86年10月5日発売の「NANA」からついにシングルA面曲でも自作曲を発表していくことになる。アイドルグループから、そのアイドル性をキープしながら本格的なバンドへと路線変更していったのが86年で、その前年に公開された『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』は、アイドルグループとしてのピークの輝きを、映像に刻み込んだ作品でもあった。


チェッカーズ『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』『SONG for U.S.A.』ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。

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