柿崎元子のメディアリテラシー

イチロー引退会見に見るコミュニケーションのワザ

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「メディアリテラシー」では、フリーアナウンサー柿崎元子が、メディアとコミュニケーションを中心とするコラムを掲載している。今回は、イチロー選手の表現技について解説する。

野球界のレジェンド・イチロー。2019年3月21日、日本において引退会見。それは突然、深夜に行われました。にもかかわらず、たくさんの方が動画にくぎ付けになったことでしょう。この会見は様々な面で示唆に富んでいました。

これから解説するのは、コミュニケーションの面から見た人前で話すためのコツです。題してイチロー引退会見に見るコミュニケーションのワザ。

【場の主導権を握る】

メディア対応におけるイチロー節についてはご存知の方も多いでしょう。ラフというか、ダイレクトというか、そっけないというか。そんな表現ができるかと思うのですが、お世辞にもメディアへの対応が良いとは言えない彼の話しぶりに、メディアはイチロー節と名付けて理解しようとして来ました。そんなイチロー選手が引退会見で「何を語るのか。」私たちは息をのんで見守りました。

ユニフォーム姿で現れたイチロー選手は開口一番、「こんなにいるの? びっくりするわー」と発しました。このコメントには2つの意図が込められていると思います。1つはピンと張りつめた空気を和らげ、メディアとの距離感を縮める意図。もう1つは自分で自分の緊張をほぐす意図です。第一声が小さく、かすれてしまっては緊張感がまるわかりです。まず、クリアに響く自らの声を感じているようでした。

次にイチロー選手は左右に動いて何度も座りなおしています。落ち着こうと自らの位置を確認しているのが見て取れます。そして、笑っていた顔が神妙になりしっかり前を向いて「きょうを最後に現役生活に終止符を打つ」と続けました。

ここまでの2分あまりで、イチロー選手は自分のペース、声のトーンなどで“自分”を固め、会見場での主導権を握りはじめます。その後の展開は“イチローオーラ全開”のレジェンド・イチロー・モードになって行くのです。これは彼にしかできません。何度もマイクの前に立ち、様々なインタビューを体験し、場数をこなした彼しかできない技だと感じました。


【ルーティンとギャップ】

しかし、私たちはここから人前で話すコツを盗みたいので、今回は敢えて2つのことに注目します。それはルーティンとギャップです。打席に立つ際、大きく手を回しバットをスタンドに向けるポーズはルーティンでお馴染みです。

会見でも「イチローの決まり事」が見えました。彼は質疑応答が始まる前に座りなおし、相手にしっかり耳を傾け、自分のコメントに何度か頷きました。これがルーティンです。姿勢に関しては自分の落ち着く位置を確保するまで時間がかかったようで、何度か座りなおしています。できればこれは1度で決めたいところです。

次にまっすぐに会場をみること、記者からの質問の間、彼は1度も下を向いたり目を伏せたりしません。自ら堂々としたたたずまいを作ることは、人を巻き込み、場づくりへとつながって行きます。イチロー選手はまた、自分の話に頷きます。ゆっくり頷き、噛みしめることで、間をあけ、自分のペースを作り上げています。

ルーティンは多くのスポーツ選手が行なっています。実力を出すためにはいつもと同じように行動する。普段同様の集中力を保つことができれば、“あがる”はずもありません。

そしてもう1つのテクニックはギャップです。最初に見たように「こんなにいるの?」とちょっと笑いを取って、次の瞬間シリアスに答える。このギャップに私たちは引き付けられます。会見の途中、真面目過ぎるコメントだなと自分で感じたときには、スカさず「おかしなこと言ってます?」と外そうとしています。このような手法は非常に効果的で、場を転じる役目を果たします。

つまり、息をのむ神経質な状態が続いている雰囲気をほぐしたり、同じ印象が続いていることを断ち切ることで、相手を飽きさせず、再度引き寄せることができるのです。「ぼーっとしてないでね」ではなく「ぼーっとしてんじゃねーよ」と非日常的な言葉を使ってみたりするのも楽しいですし、いつもはスーツですがTシャツにジャケットなど、普段と違う洋服を着てみるなども効果をもたらすことがあります。ルーティンとギャップについて、自分なりの方法をみなさんにも見つけていただきたいと思います。

最後に、イチロー選手独自の話し方について私なりの分析です。


【すごいイチロー節を形成する】

会見で気づいたのは、以下の言葉です。「人より頑張ったことはない」「後悔を生まないということはできない」「たいしたことではない」「大きな意味はない」「楽しいということではない」「簡単ではない」「成功かどうかわからない」「判断できない」「みなさんへのギフトなんかない」などのネガティブワードです。

常々、私がタブーと表現して来た言葉です。これはしゃべりのクセでもあると思いますが、イチロー選手は自分の行動に対する言葉をこの形で答えています。つまりメディアの質問にストレートに答えないようにしているのです。

では、このときメディア側はどんな質問を投げているのでしょうか。「印象に残ったことは?」や「ギフトですか?」「野球の魅力は?」「いちばんの決断は?」など見出しを飾れそうな言葉、あるいは名言となりうる言葉に誘導するかのような単語が出て来ます。イチロー選手はメディアの安易な発想に巻き込まれないようにしていると感じました。

これは大変な技術です。ポジティブなコメントにはネガティブで返すという方式です。一方、「後悔」「我慢」「悩み」「孤独感」などのマイナスイメージの言葉にはダイレクトに答えているようにさえ見えます。安易に言葉を発しないすごさを改めて見せつけられた思いです。

メディアは誘導したり操作したりするとよく言われますが、取材する側には、聞くものの理解を深め、読む人の感動を呼びたいという、ごくストレートな気持ちがあることを誤解なきよう付け加えておきます。

午前1時を回った頃、「みなさんも眠いでしょう。そろそろ帰りますか」と笑いをとったイチロー選手。降壇する際、真顔になり、深々と一礼して会見は終わりました。ここでもギャップを示し、イチロー選手はレジェンドの技を見せたのでした。

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