本当に知り合いもいなくなりました-中西麻耶

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ニッポンチャレンジドアスリート・中西麻耶インタビュー(3)】

-一念発起。アメリカへの武者修行を決意する。だが、つてはあったのか?

中西 全くなくて、北京パラリンピックの選手村で、見た目あの人は偉そうだな、みたいな人に「Hello」と「Training!Training!」とそんな片言過ぎる英語で話をして、なんとなくですけど連絡先を聞くことができました。

-北京オリンピック終了後、アメリカ行きを決意し、サンディエゴのオリンピックトレーニングセンターで特別に練習させてもらえることになった中西。知り合いもおらず、英語も満足に話せない中、新たな困難が降りかかった。

中西 イギリスの陸上連盟がコーチをハンティングしていて、最初に(私が)ついていたコーチが、イギリスの方に引き抜かれちゃったんですよね。
そのコーチについていた選手も、そのコーチに習いたくて一緒にイギリスに行ったりしたので、本当に知り合いもいなくなりました。

-途方に暮れていた中西だったが、ここでその後のアスリート人生を大きく変える指導者に出会う。

中西 トレーニングセンターの中でどうしようと思いながら、それでもトレーニングは続けなきゃと思って自分で練習だけは続けていたんですけれど。本当にたまたま、毎日、すごく陽気な黒人の方は「Hey!」みたいな感じで声をかけてくれるなと思っていた人がいたんですよ。
なんて喋っているか分からないけれど、ニコニコしとけーと思っていたら、ある日、紙に「10:00」って書いてあって、「Training!」って言ってくれたので、「あ、10時にトレーニングに来いっていうことなのかな」と思って。

-その陽気な黒人コーチの正体は、アル・ジョイナー。1984年、ロサンゼルスオリンピック、三段跳び金メダリストで、また、ソウルオリンピック女子陸上で三冠を達成したフローレンス・ジョイナーの夫でもあった。
中西は、アル・ジョイナーがどんな人物なのか知っていたのだろうか?

中西 全く知らなくて、なんとなく奥さんが凄いツメを綺麗にしている方なんだとか、何か記録を持っているんだろうなとか。
「僕は、君がどこに行ってもあなたのコーチだから連絡してきなさい」と、紙に名前とアドレスと電話番号を書いて渡してくれました。
すごい優しいおっさんだったなーって思いながら帰国をして、あの人の正体は何だったんだろうって思ったんですよ。調べたらそれこそ凄い人だった(笑)

-アル・ジョイナーコーチの下、アメリカで才能を伸ばしていった中西だったが、1つ深刻な問題に直面していた。(その4に続く)

(3月22日~4月1日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

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