サヘル・ローズ「言葉として名前が残れば、私たちはずっと生きて行ける」

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黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、タレントで女優のサヘル・ローズが出演。8歳のときに小学校の校長先生から学んだ日本語。その言葉ということについて語った。

サヘル・ローズ「言葉として名前が残れば、私たちはずっと生きて行ける」
黒木)今週のゲストはタレントで女優のサヘル・ローズさんです。
8歳のときにイランからいらしたそうですが、日本語はどなたから習ったのですか?

サヘル)最初に教えてくださった方が小学校の校長先生でした。本来は校長先生が教えることではないと思うのですが、私が言葉がわからず、友達も作れなくて一人ぼっちになっていたので、「教えてあげるから僕の所へおいで」とおっしゃってくださいました。何ヵ月も校長先生に1対1のプライベート・レッスンをしていただきました。

黒木)授業ではなく。素晴らしい先生ですね。

サヘル)本当に感謝しています。その先生のおかげで、「です、ます」も丁寧に使えるようになりました。ちゃんとした言葉を身につけなさい、基礎さえ持っていれば将来困らない、と言われました。8歳のときにいい先生に巡り合えて、厳しく教わることができたので、3ヵ月後にはかなり話せるようになっていました。

黒木)最初はどういう日本語から教わったのですか? 

サヘル)はじめは校舎を歩きながら、「これは窓」「これはペン」と目で見て、触れながら1つずつ、1日に3~4つのものを憶えて行こうねと。

黒木)お母さんが子供に教えるみたいなことですね。

サヘル)言葉がわかるとみんなともお話しができるようになって、今度は遊びながらみんなからも教わることができたので、早いスピードで習得できました。

黒木)でもサヘルさんはそうやって、学校で日本語を習うことができましたが、お母さんはどうしていたのですか?

サヘル)お母さんは朝から晩まで必死に働いていましたが、習うことはできなかったのでずっと話せませんでした。私が大人になって、仕事をするようになったときにお母さんに「私が頑張るから、もう働かなくていいから、お母さんは休んで。お母さんは何がしたい?」と聞いたら、「日本語教室に通いたい」と言うのです。必死で働いてくれた親には、「やりたいことをやらせてあげよう」と日本語学校に通ってもらいました。お母さんは頑張って、日本語の1級に合格したのですよ。いまは通訳をしています。

黒木)努力の先にはいろいろな可能性がありますよね。

サヘル)どれだけ言葉を丁寧に使うかで、あり方も変わります。言葉は武器にもなれば、愛にも変わる。その言葉を種から学ぼうと思って、声優の学校に行きました。声優というものは、言葉を理解しないとできないではないですか。声優になりたいというよりは、言葉を学びたかったのです。

黒木)声だけのお芝居は、抑揚などの表現力が必要になって来ますので、それはいい勉強を選びましたね。

サヘル)ただ言葉を発するのではなくて、心からどうやって絞り出すか。人と話すときも学んだことによって、言葉の背景が見えたところがあります。言葉の人間になりたい。将来は私は言葉になりたいのですよ。

黒木)言葉自身になりたい?

サヘル)私たちは名前をもらった時点でもう、言葉になれているのですよね。この「サヘル」という言葉を残して行きたい。魂がなくなっても言葉として存在していれば、これからずっと生きて行けるなと思っています。

サヘル・ローズ「言葉として名前が残れば、私たちはずっと生きて行ける」
サヘル・ローズ/タレント・女優

■1985年、イラン生まれ。
■8歳のときに養母と共に来日。当時通っていた小学校の校長に日本語を学ぶ。小学・中学時代には生活が困窮してホームレス生活を経験したり、いじめに遭うなど辛い思いをしたが、高校時代から芸能活動を始め、ラジオのリポーターとしてデビュー。
■以降、女優として映画やドラマで活躍するほか、タレントとしても数多くの番組に出演。
※イランでも放映されていた「おしん」が芸能活動を始めるきっかけに!

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FM93AM1242 ニッポン放送 月-金 6:43-6:49

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黒木瞳のあさナビ

毎週月曜〜金曜 6:41 - 6:47

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毎朝、さまざまなジャンルのプロフェッショナルをお迎えして、朝の活力になるお話をうかがっていく「あさナビ」。ナビゲーター:黒木瞳

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