4月12日はペギー葉山の命日~不世出のポピュラー・シンガーにしてウルトラの母

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ドリス・デイのカヴァー「ケ・セラ・セラ」や、自訳詞した「ドレミのうた」に代表されるポピュラー・ソングをはじめ、オリジナルでは「南国土佐を後にして」「爪」「学生時代」などのヒットで知られるペギー葉山の突然の訃報が届いたのは、2年前の2017年4月12日のこと。早くも三回忌となる。1952年のデビューから65年をキングレコード所属歌手として貫き、生涯現役だったペギー葉山には、2000曲を超えるレコーディング曲があるという。最後のオリジナル曲となったのは、NHK『ラジオ深夜便』の<深夜便のうた>として紹介された「おもいでの岬」で、歌手時代から親交のあった弦哲也の作詞・作曲。現・作曲家協会会長の任にある氏は、2017年6月22日に催されたペギー葉山お別れの会で、愛するパートナーとの旅を想い出すというテーマで書かれた「おもいでの岬」について語り、万感の想いで別れの挨拶を述べた。70周年記念コンサートを実現出来ぬままに旅立ってしまったのは誠に残念であった。

戦後の日本ポピュラー史を語る上で欠くことの出来ない歌手のひとり、ペギー葉山は1933年、東京・四谷に生まれた。幼少の頃から歌が好きで、中学生の時には声楽家の内田るり子に師事して音大を目指すも、駐留米軍ラジオのWVTR(後のFEN、現AFN)をきっかけに、クラシックからジャズ・ポピュラーへと指標を転化させる。さらに、青山学院高等部2年の時に観た映画『我が道を往く』がその後の運命を決定づけた。劇中でビング・クロスビーが歌う「アイルランドの子守唄」に感銘を受けた彼女は、ハワイアン・バンドのリーダーを務めていた親友の兄を通じて、進駐軍キャンプで歌うことになる。やがて当時最も人気があったビッグバンド、渡辺弘とスターダスターズの専属歌手となった。ナンシー梅木の後釜となる3代目で、ジャズ・シンガーのティーブ・釜萢(かまやつひろしの父)紹介であったという。抜群のフィーリングでポピュラー・ソングを歌う日本人歌手はすぐに評判を呼んだ。

そしていよいよ、1952年11月に「ドミノ/火の接吻」でキングレコードからレコード・デビュー。同じキングから江利チエミ、ビクターからは雪村いづみら、同世代のポピュラー歌手が次々にデビューする中、得意ナンバーのひとつ「センチメンタル・ジャーニー」で“日本のドリス・デイ”の異名をとり、十八番となる「ケ・セラ・セラ」などをすっかり自分のものとしてポピュラー・ソングのカヴァーを吹き込んだ。54年には「月光のチャペル」でNHK紅白歌合戦に初出場。(以降65年まで12年連続出場を果たし、66年には紅組司会も務めている。)55年には初めて渡米して各地でショーを行ない、58年にはミュージカル『あなたの為に歌うジョニー』で芸術祭個人奨励賞を受賞するなど、活躍の場を広げていった。

4月12日はペギー葉山の命日~不世出のポピュラー・シンガーにしてウルトラの母
デビュー以来、ずっとポピュラー・ソングを歌い続けてきた彼女にとって異色の作品となったのが「南国土佐を後にして」である。元々は別歌手が歌っていた曲を、58年にNHK高知放送局がテレビ放送を開始した際の記念番組『歌の広場』で披露して好評を得たことがきっかけとなりレコーディング。翌59年にレコード発売されると空前の大ヒットへと至り、日活で映画化もされた。日本調ながら決してコブシを回していないのが特徴である。ペギーには後に、高知県名誉県人の称号が贈られた。以降は「ラ・ノビア」や「ドレミのうた」など、本来のポピュラー・シンガーとしての作品と並行して、平岡精二の作詞・作曲による「爪」や「学生時代」などのオリジナル作品でもヒットを放ち、歌謡界でも確固たるポジションを築き上げる。ヴィブラフォン奏者としても知られる作詞・作曲家の平岡精二は青山学院でペギーの先輩にあたり、「学生時代」も同校を舞台に作られた作品であった。当初は「大学時代」のタイトルだったが、ペギーが「私は大学には行ってないから」とタイトルを改めてもらったのだという。2009年には青山学院青山キャンパス内にある礼拝堂の前に「学生時代」の歌碑が建立され、ペギーも除幕式に出席した。

4月12日はペギー葉山の命日~不世出のポピュラー・シンガーにしてウルトラの母
4月12日はペギー葉山の命日~不世出のポピュラー・シンガーにしてウルトラの母
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65年には俳優の根上淳と結婚し、芸能界きってのおしどり夫婦として知られるようになる。70年代にはNHK『歌はともだち』の司会などタレント業も盛んに行ない、ある一定の世代にとっては、円谷プロの特撮テレビ映画『ウルトラマンタロウ』で、ウルトラの母の人間としての姿(緑のおばさん)を演じたのが印象的であろう。夫の根上がシリーズの前々作『帰ってきたウルトラマン』で地球防衛チームの隊長役を務めていたことが縁で起用されたのではないかと推察される。挿入歌「ウルトラの母のバラード」は実際に番組で使われたのは別歌手によるものだったが、ペギー自身もカヴァー・ヴァージョンとしてもちろんキングで吹き込んだ。クラシック畑出身の冬木透が作曲した知る人ぞ知る名曲である。近年では押しも押されもせぬ大ヴェテランとして存在感を示し、1995年に紫綬褒章、2004年に旭日小綬章を受章。2007年には社団法人日本歌手協会の初の女性会長に就任し、3年間務めた後に理事、2014年からは名誉会長となっていた。心に響くペギー葉山の優しい歌声はこれからもずっと愛され続けてゆくことだろう。

4月12日はペギー葉山の命日~不世出のポピュラー・シンガーにしてウルトラの母
ペギー葉山「ドミノ」「ドレミのうた」「南国土佐を後にして」「学生時代」「ウルトラの母のバラード」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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