高崎駅「鶏めし弁当」(900円)~「時代」が動いた町・沼田 【ライター望月の駅弁膝栗毛】

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湘南色115系・沼田駅

群馬県の上越線・沼田駅にやってきました。
群馬エリアでは、長年活躍してきた湘南色の115系電車が最後のご奉公。
東京周辺では、このタイプの車両を見なくなって久しくなりましたよね。
ただ、高崎周辺でもこの夏からステンレス製の211系電車への置き換えが始まっています。
鉄道の世界も「時代が動いている」と感じる平成28(2016)年の初秋です。

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沼田城址

さて、沼田で注目されている場所といえば、なんと言っても「沼田城」!
実は沼田も、その昔「時代が動いた」場所なんです。

「沼田城」は天文元(1532)年にこの地を治めていた沼田氏が築き、天正8(1580)年に真田昌幸が入城して城の規模を広げました。
天正18(1590)年には、昌幸の長男・信幸(信之)が沼田領の城主となり、慶長2(1597)年には五層の天守を建造したといわれています。
で・・・「時代が動いた」場所というのが?

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沼田城址から望む名胡桃城址

かつて、沼田城があった沼田公園から、上越国境方面を望みます。
利根川対岸の河岸段丘の上、少し平らになったに見える場所にあったとされるのが「名胡桃城(なぐるみじょう)」です。
戦国時代末期、豊臣秀吉による「沼田裁定」で沼田領は北条のものとなりましたが、利根川対岸の「名胡桃城」周辺の3分の1は真田領として残りました。

しかし北条側はこれに違反して「名胡桃城」を攻略、「小田原合戦」のきっかけとなり、秀吉による「天下統一」へと時代が動いていきました。
つまり「沼田」は、100年以上続いてきた「戦国時代」から大きく「時代が動いた」町ともいえるわけです。

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鶏めし弁当

ただ、駅弁というものは、たとえ時代が変わっても「変わらぬ味」であってほしいもの。
高崎駅弁を調製する「高崎弁当」随一のロングセラー駅弁といえば「鶏めし弁当」(900円)です。

昭和9(1934)年発売が開始された駅弁で、80年以上の歴史を誇ります。
「高崎弁当」は、昭和33(1958)年に松本商店、天来庵矢島、末村商店の3つの業者が合同して出来た駅弁屋さん。
この中に九州出身の主人の方がいて、鶏を使った駅弁を考案したといいます。
また、群馬では米と麦の二毛作が行われていたこともあって養鶏が盛んだったことも、駅弁づくりを後押ししました。。

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鶏めし弁当

ふたを開けると溢れんばかりのたっぷり鶏そぼろ!
そぼろは醤油・みりんなどで味付けされていて、その下には醤油味で炊かれた茶飯が入っています。
その隣で艶々と輝くのは鶏の照焼き、そしてコールドチキンがそれぞれ2つずつ。
下に敷かれた海苔がとてもいいアクセントになっていて、いつもどのタイミングで食べようか迷います。
ロングセラーになる駅弁って、こういった「自分なりの楽しみ方」を作れる”程よい余地”のようなものがあるんですよね。

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鶏めし弁当

昭和30年代に出された「駅弁」に関する書籍にも「鶏めし弁当」の記述がありました。

「高崎駅のとりめしは、横浜駅のシウマイと並んで東日本特殊駅弁界のベストセラー」
「1日・4,000個を販売」
「スキーのシーズンになると・・・(中略)・・・若い人が列車から歓声を上げてホームに殺到、とりめしの売り子さんを囲んでしまう」

上越新幹線も関越道も無かった時代、上越線でスキー場を目指した世代には懐かしさを憶える人も多いであろう駅弁。
時代が変わっても世代を超えて受け継がれている味、それが高崎駅の「鶏めし弁当」です。

(取材・文:望月崇史)

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