平成思い出実況はドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜 【ニッポン放送師岡正雄アナウンサー】

いよいよ平成が終わる。そんな平成を、『スポーツ実況』という形で喋り続けている ニッポン放送スポーツ部のアナウンサー。の平成の30年間を喋り続けてきて、思いの出の実況もあるはず。そんなスポーツ部のアナウンサーに、平成の思い出の実況を聞いてみた。


■今回は、師岡正雄(もろおかまさお)アナウンサー
1960年2月生まれ。1993年ニッポン放送入社。Jリーグ・ワールドカップ予選などサッカー、
メジャーリーグ、オリンピック、プロ野球、そしてWBCと、様々な競技を実況。2018年1月ニッポン放送を退社。フリーアナウンサーとなるも、今年も「ニッポン放送ショウアップナイター」の実況を務める。

■ 福岡の方で、スタジオを担当していた

‐- 1989年の大喪の礼・即位の礼は

その頃は、まだ福岡(KBC九州朝日放送)。明け方に集まって、東京と同じ内容を放送するんだけど、ローカル枠という地方局が担当する時間があるので、そこのスタジオを担当した、総合司会のような仕事をね。

サッカーJ1  Jリーグ開幕  川崎ヴェルディ対横浜マリノス  川崎V・三浦知良 =1993.5.15  国立競技場 撮影日1993年05月15日 提供産経新聞

■ 師岡アナウンサーの平成、思い出に残る実況は

‐- 師岡アナは、色々と記憶的実況をされていますが、その中で、師岡アナの中で、《平成》の思い出に残る実況ってなんですか?

うぅ~ん、色々あるからなぁ(笑)

■ Jリーグの開幕はお前でいくぞ!...え!俺ですか?

‐‐ 師岡アナは、記念的な、記憶に残るような試合が多いですよね

いや、偶然ね。結果的にね。初めは、平成5年(1998年)のJリーグの開幕だよね。
平成5年(1998年)の3月1日付で、ニッポン放送に入社して、しばらくは、リポーターだとか、そういう仕事をやると思っていたんだ。
そうしたら4月位に、当時のスポーツ部長に呼ばれて、何かな?って思ったら、『Jリーグの開幕はお前で行くぞ..』って言われて、『え!俺ですか?』って答えた事は、未だに覚えている(苦笑)。
だって、入って2カ月だよ。どんな実況をするのか、どんな喋りをするのか、全く解らないのに、『お前で行く!」』って言われて、びっくりしたよね。

‐- その頃、サッカーの実況経験はあったのですか

九州で行われていたサッカーの試合とか、九州で行われた日本リーグとか、実況した事はあったけど、大体はテレビだった。ラジオの中継はやってなかったな。だから、『どうすんだよ、ヤッベーよ』って(苦笑)
実況の練習は...公式戦はやっていなかったから、プレシーズンマッチをやっていたんだよね。だから、そこに行って練習したり、クラブにいって、練習風景を見ながら、喋る練習をしたりしていた...かな。

‐‐ それに伴い、「独占!Jリーグエクスプレス」という帯番組も始まりました。

そうそうそうそう。その収録もあったり、なんか、Jリーグのスタートの波に、乗ったというか、乗れたというか、乗っちゃったというか、それはわからないけど、その渦の中には入って行ったよね(苦笑)もうもみくちゃだったよ(笑)

Jリーグの開幕と同じ頃に、アメリカワールドカップのアジア一次予選があったよね。Jリーグ開幕するわ、予選は始まるわで、色々と大変だった。

ニッポン放送ショウアップナイターの詳しい情報は ホームページ&Twitterで
ショウアップナイター HP  https://baseballking.jp/showup
ショウアップナイター Twitter  https://twitter.com/showup1242

Jリーグの開幕戦は、めっちゃドキドキしたね。今にないプレッシャーがあったね。<日本のメディアのほとんどが注目する新しいプロスポーツの誕生>だったからさ。

今でも覚えているのは、(昔の)国立競技場の中継室の裏側は、壁のない通路になっていて、新宿の高層ビル群に沈む夕日が綺麗に見えたんだけど、俺が取材を終えて、その通路に昇って行ったら、当時のスポーツ部長がいてさ、そんな新宿側の風景を見ながら、『おぅ、お前頼むぞ!』って言われてさ(苦笑)
『頼むぞ!』って言われてもさ、『俺を指名したのはあなたでしょ!』って。『頑張ります』って言ったら、『本当に頼むぞ!!』って...それで、スッゲープレッシャーがかかった(笑)

‐‐ 国立競技場での開幕戦は、見た事の内容な風景から始まりましたね

そうだよね。Jリーグの開幕の時は、サッカーであの国立競技場が満員で、クラブフラッグが、スタンドで沢山揺れていて、クラブカラーでスタンドが2つに割れていて、チアホーンが鳴って、「こんな風景が日本でも見れるんだ!」って思った。日本リーグの頃を考えると、絶対に出来ないと思っていた風景だったからね。

現代でも、あんな開幕戦をやったスポーツは無いと思うよ、あれは凄かったね。そこで実況をしてね、あれは、記憶には残ったな。

‐‐ Jリーグの開幕した時は、ニッポン放送も毎節中継をして、毎回、スタッフが集まって、喧々諤々やりましたね

やったね~。野球だと、グラウンドの映像が、頭に浮かぶけど、サッカーはまだ、ピッチの映像が頭に浮かばないという事で、《左から右、右から左》《あちら側、こちら側》《メインスタンド側、バックスタンド側》《右サイド、左サイド》《ユニフォームの色》など、色々工夫して実況していたよね。

‐‐ (元テレビ朝日の)古舘さんのように、選手に〈キャッチフレーズ〉を付けて紹介する事もしましたね

そうそう、《鹿島のテトラポット・大野俊三》とかね。《大阪の万里の長城》カ・シュウゼンとかね(笑)

 

【ドーハの悲劇】 日本対イラク 日本は終了間際に同点にされW杯出場権を失う。 肩を抱かれ引き上げる中山雅史。=1993年10月28日 ドーハ 撮影日1993年10月28日 提供産経新聞

■ どん底のシーンを実況するって、最初で最後だよ

‐‐ あとサッカーだと、アメリカワールドカップアジア最終予選、『ドーハの悲劇』ですよね。

ドーハだよね。行けたと思ったもんね。

‐‐ 先日、「土屋レオのレオなるど」でも、話していましたね。

そうそう。その時は、喋らなかったんだけど、俺がサッカーを実況する時、立って実況してたでしょ。あのゴールが入った時、〈ヘナ、ヘナ〉って、しゃがみ込んじゃったんだよ。だから何秒間か、座り込んじゃって見て無いんだよ。時間としては、2、3秒位なんだけどね。

‐‐ その時に、サッカーコメンテーターをしていた小谷泰介さんが、「これは大変だ!」って思って、「...なんということだ...」って、喋ったと言っていましたよ

そうそう。それで、立ち上がってピッチを見たら、みんな(選手)が崩れ落ちていた。そこで、「まだ時間がある、ガンバレ日本!」ってね。

 

去年、最終節で、川崎×磐田の取材時も、立って実況をした師岡アナ

 

‐‐ スタジオのスタッフも、あの間で、事の重大さを再認識したというか

そうだよね。で、引き分けて、行けないという時に、ラモスさんとか、カズとか、みんなその場にしゃがみ込んでさ...それを喋る...ああいう光景を喋る...っていうのは、最初で最後だったよね、《どん底のシーンを喋る》って言うね。本当、1分前までは、天国にいたみたいなもんなんだから、

‐‐ 『アメリカが見えてくる、アメリカが見えてくる...ロスタイムに突入...』って、実況していましたからね。

そうそう(苦笑)本当に、あのワンプレーだけだったからね。あのプレーを防いでいたら、アメリカに行っていたんだろうからね。

それでさ、今では考えられないと思うんだけど、帰りの飛行機が、選手と報道陣が一緒だったんだよね。
帰国する時、ドーハの空港には、現地まで応援に来ていた日本のサポーター達が、見送りに来ていてね、でも選手達は、彼らを見る事もなく、うつむいて、目が腫れていて、いかにも寝れなかったっていう顔をして、飛行機に向かっていたんだよ。人を避けるようね。

そうしたらサポーター達が、「上を向いて歩こう」を歌い始めたんだよ。最後は大合唱になった事を覚えてる。ここまで来ると、思い出の実況とかじゃなくて、あの場所で一緒に戦った仲間というか、同じ気持ちで戦った思い出だよね。

 

男子サッカー サッカーW杯 アジア予選 日本ーイラン W杯出場を決め喜びの日本選手 撮影日1997年11月16日 提供産経新聞

■ あの交代の時は、絶妙のコンビネーションだったろ(笑)

‐‐ そして4年の『ジョホールバルの歓喜』に繋がってくるわけですね。

あの時も、予選から危なかったからね。アウェイの韓国戦の時、サッカーコメンテーターの水沼貴史さんと、『これが最後の試合になるね、最後まで見届けよう』って話して、実況に入っていったんだよ。で、勝ったでしょ、あそこからチームが盛り上がっていったよね。
で、第三代表決定戦のジョホールバルだよね。あの試合も、先制して、追いつかれて、逆転されて、追いついて。あと、カズ(三浦知良選手)とゴン(中山雅史選手)のフォワード同時に2枚代えたんだから驚いたよね。

‐‐ その交代の場面、このインタビューで煙山アナが、「師岡アナは、2人の交代を知っていたけど、知らないふりをして、レポートを聴いてくれた」って言っていましたけど本当ですか

知っていた(笑)当時の選手交代はボードだったから、放送席からでも見えていたんだよ。絶妙のコンビネーションだったろ(笑)

試合は、延長になったんだけど、延長に入る時、煙山アナから、「岡野選手が入ります」ってレポートが入って、ゴールデンゴールを決めたのは後半だったけど、前半、チャンスを2本ぐらいあって、それを外していたんだよね、もう決めてくれよって(苦笑)
で、後半のゴールデンゴールの時、ヒデ(中田英寿)のシュートのこぼれ球に飛び込んで、あのゴールは何と言うか、今の日本代表だったら考えられないけど、『ワールドカップ、これで決定だ!!』って、4年前のドーハもあるし、4年越しの喜び、やっと決めたという感動があったよね。

‐‐ 師岡アナは、岡野選手とも仲が良かったじゃないですか、そんな気持ちもありました

そう、『岡野が決めた!』ってね。で、帰国してから、レッズが《お帰り岡野選手!》っていうイベントを、浦和駅前でやったんだよ、その司会をやったもん(笑)
そういえば、帰国した後の特番で、岡野選手にインタビューした時に、2本チャンスを潰して、『俺、このままじゃ日本帰れないや』って思ったって(笑)
ゴールデンゴールの時、どうしてスライディングをしたの?って聞いたら、『一番、入る確率が高いのがスライディングだった』って話してくれた、蹴るよりも体に当ててってね(笑)

‐‐ その後、フランスワールドカップも行って、実況しましたけど

フランスワールドカップは、あまり思い出に無いんだよね。あの時はフランスにいたけど、モニターを見て実況するオフチューブ中継だったから、実況したっていう感じが無いんだよね(苦笑)

米大リーグ レッドソックスーマリナーズ 3回、第2打席は中飛のマリナーズ・イチロー外野手 撮影日2007年04月11日 提供産経新聞

 

■ 俺、毎年のように海外に行っていたんだよね...

‐- フランスワールドカップの後に、野球中心に変わりましたけど

俺、サッカー喋りながら、1996年に野茂投手でメジャーリーグに行ってるんだよね。
で、1998年がフランスワールドカップで、2000年がシドニーオリンピックで、2001年に、《大魔神》佐々木主浩投手とイチロー選手のシアトルに行って...毎年のように海外に行っていたんだよ(笑)
だから、いやらしい言い方をすれば、日本のプロ野球を、1年間ちゃんと見ていた事が無かったんだよね(苦笑)
だから、日本の野球をみっちりやったのは、ここ数年なんだよね(苦笑)

‐‐ 最後の海外取材は、松井秀喜選手になると思いますが、松井選手の時も、いいチャンスで実況しましたね

あの時、松井選手の開幕戦の時は、当時のスポーツ部長に『ニューヨークに行かせてください』って直訴したんだよ。『松井に着いて行きたい』って。部長は、『わかった』って言ってくれた。そうしたら、まるまる1シーズンアメリカに行く事になったっていう(笑)
2回位、休みをとれという事で帰国したけど、それ以外はずっとアメリカだった。この経験は、凄く良かったね。

米大リーグ ヤンキースーツインズ 5回裏1死満塁。満塁ホームランを放ち、鮮烈のニューヨークデビューを飾ったヤンキースの松井秀喜 =ヤンキースタジアム  撮影日2003年04月08日 提供産経新聞


■ なに、今着いたの?優勝したシーン見てないの?いま来てもしょうがないじゃん

‐‐ 松井選手のニューヨークでの開幕戦、これも歴史的な場面になりました

凄く寒かった(笑)ニッポン放送の中継席は、レフトの外野に近い所だったんだよ。ポールの方が近いくらい(苦笑)
この試合も、松井選手は5番に入っていで、相手は満塁策をとって、その松井選手と勝負してきた。『ここでタイムリーが打てるか?、ホームランはどうかな?出来過ぎだよな』って思っていたら、《満塁ホームラン》を打った(笑)あの右中間に飛んで行ったボールの軌道は、未だに覚えているよ。
実は、放送席からは、スタンドの陰で、ボールの軌道がよく見えない所があったんだ。だから外野手の動きを見ながら実況をしていたら、スタンドにボールが落ちたのが見えた。
本当に興奮して喋ったな(笑)
ジョホールバルの時とは違って、本当に《スッゲー!》って、鳥肌立ちながら、無我夢中で喋っていた。
一応、《松井、ニューヨーク上陸!ゴジラがニューヨークで産声を上げました》みたいなのは、用意していたんだけど、まさか出るとは思わなかった(苦笑)

‐‐ 松井選手は、2009年にはワールドチャンピオンになりましたが

あの年から、ニッポン放送は放送しなくなったんだよ(苦笑)でも、『松井秀喜 ワールドチャンピオンへの道』という番組はやっていた。
だから、ワールドチャンピオンになるかもしれないっていう事で、その番組収録の為にニューヨークに行ったんだよ。
でも、出発の日は、チャンピオンを決めた第6戦の当日で、成田空港のテレビで、第一打席のホームランを見て、飛行機に乗ったんだよ(苦笑) 「行ったら決まっているなぁ~」なんて思いながらね。
翌日の朝、ニューヨークに到着して、すぐ新聞を見たら、《ワールドチャンピオン!松井MVP!!》って載っていた(笑)
松井選手にお祝いの連絡したら、『なに、今着いたの!?優勝したシーン見ていないの?タイミング悪いなぁ~、いま来てもしょうがないじゃん。』って笑われたよ。
で、そのチャンピオン・パレードを実況したんだけど、ここだったら見えるだろなという場所に陣取ったら、どんどん人が増えて来てさ。俺、挟まれて、ペチャンコになるんじゃないかって思う位の人の多さだった、凄かったよ(笑)

野球 第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC) 決勝 韓国対日本 宿敵韓国を破り大会2連覇。マウンドに駆け寄る杉内俊哉投手(中央 47番)ら日本代表ナイン =現地時間24日未明 撮影日2009年03月24日 提供産経新聞

■ グラシアス・メヒコの後、今夜はタコスを食べてくださいは、俺のアレンジ(笑)

‐- 後は、WBCですか

WBCは、野球版ワールドカップという気持ちで行って、実況していた。
第1回は王さんが監督で、決勝戦の相手は、キューバだったね。
この時は、福留選手が不調でスタメン落ちしてしまったんだけど、準決勝の韓国戦で、代打に出てきて、先制2ランホームランを打って、決勝戦でもタイムリーヒットを打ったんだよね。

日本は、第2ラウンドで、アメリカと韓国に負けて1勝2敗だったんだけど、2位を争っていたアメリカが、最下位のメキシコに負けて、日本、アメリカ、メキシコが1勝2敗で並んでじゃって、結局、当該チーム間の失点率が最も良かった日本が準決勝に進出したんだよね。

‐‐ ニッポン放送は、アメリカ対メキシコ戦を中継していましたよね、日本戦でもなかったのに。

そうそう、日本が行けそうだっていう事で、緊急特番になったんだよ。
アメリカ戦で負けて、1勝2敗となった日本だったんだけど、とにかく次の試合があるかもしれないという事で、サンディエゴに移動したんだ。もちろん、各メディアの記者も一緒に移動していたんだけど、ニッポン放送のスタッフは、会社からは、「とりあえず、放送席もあるから、アメリカ対メキシコを取材に行ってくれ」と言われてね、じゃあ、見てから移動するかとなった。
とりあえず、回線をつないで、簡単な実況をしながら、試合を取材していたんだけど、日本対アメリカで、おかしな判定をしたデービットソン審判が、この試合でも審判をやっていて、メキシコ選手が打ったボールが、外野のポールに当たったんだけど、彼は、ファールっていう判定をしたんだよ。そうしたら、メキシコの選手が、そのボールを持っていって、ペンキが着いているじゃないかって、もめたんだよね。

そんなドタバタした試合だったけど、メキシコがリードして終盤に入った時に、気が付いたんだよ。<これ、失点率で行けるんじゃない??>て(笑)
アメリカにいるスタッフ、日本にいるスタッフで計算したら、<これだったら失点率で行けるぞ>ってなってね、急遽、途中から中継したんだよ。
そして最後にメキシコが勝って、『グラシアス・メヒコ!今夜はタコスを食べてください』っていう実況が生まれた(苦笑)

‐‐ そのグラシアス・メヒコは、事前に準備していたんですか

そんなわけないじゃん(苦笑)「グラシアス・メヒコ」って言うのは、一緒に行ったディレクターが、とっさに紙に書いて出してくれたんだよ。それを見て、多分、俺が、『タコスを食べてください』って付け加えたんじゃないかな(笑)

‐‐ 天才的な発想ですね(笑)

じつはさ、あの試合の中継を、原監督が聴いていたんだよ。
原監督が未だに言うからね、『師岡さん、よくあの状況で、グラシアス・メヒコ、今夜はタコスを食べてください。って出てきたね』って(笑)

‐‐ その原監督が、第2回の日本代表監督で、そこにも行きましたね。

その時で覚えているのは、第二ラウンドの4日目、日本対キューバ。
日本がキューバ相手に、5対0で完封リレーをした試合。凄い霧で試合開始が遅れてね。
この試合は、岩隈投手が先発したんだけど、アキ猪瀬さんと見ていて、「外野に飛んだら見づらいね」って話していたんだよ。
そうしたら、先発の岩隈投手が、見事に、ゴロの山を築くんだよね。低めのコントロールには驚かされたね。この間、岩隈投手にその話をしたら、「いやぁ~たまたまですよ」って言っていたけどね。

‐‐ 決勝戦も、印象的な試合でしたね

決勝は、日本×韓国でね。打者では、イチロー選手が大不振で、投手は、先発のダルビッシュ投手も良くなかった。さらに、抑えの藤川投手も良くなくて、原監督が、ダルビッシュ投手を後ろに持って行ったんだよね。それでまとまりが出てきて。
でイチロー選手だよね。決勝のセンター前ヒット。この時、イチローって言う人は、持っている人なんだなって思ったよね。打つ・打たないの前に、そこで回ってくるという《強さ》ね。

‐‐ この第二回WBCは、原監督の采配に柔軟性を付けたというか、それからの采配が変わりましたよね

そうそう。江本さんが『WBCから帰って来てから、原さんの采配が変わって来たな!』って話していたことを聞いたことがあるよ。
‐‐ 原監督に、その話を聞いたことはなかったのですか

あった、あった。『抑えといったら藤川投手だったのに、ダルビッシュ投手に変えましたね』、って。聞いたら、『短期決戦は、いい物を大事な所に持ってくる、もうそれだよ』って話してくれた。そこが、リーグと短期決戦の違いだって。だから、ダルビッシュを抑えに持って行ったんだよ。ってね。

‐‐ そうすると、原さんは、リーグ戦と、短期決戦の闘い方を持っているんですね

そうだね、その闘い方を、その都度、切り替えながら戦っているんだよね。

■今シーズンのプロ野球キャンプ取材について

‐‐ 今シーズン、キャンプは、どこに行きましたか

セリーグ6球団は、駆け足だったけど見てきたよ。
キャンプを見ただけの感想だけど、広島は、丸選手が抜けたけど、そこに長野選手が開幕から入って、これればいいんじゃないかなと思うのと、新外国人が開幕から打てば、丸選手の穴を埋められるはず。投手陣は、去年と変わらずいいと思うよね、

巨人はね。打線は結構いいなと思うんだよね。2番に丸選手をいれて、そうすると、4番まで固まるし、あそこも後は、外国人が問題になるんだけど、5番6番のゲレーロ選手と新外国人ビヤヌエバ選手、あの2人のどっちかでいいから入ってくると、打線に厚みがでるし、投手も去年よりもいいスタートできると思うよね。
投手陣は、菅野投手、山口俊投手、メルセデス投手、ヤングマン投手、後にはクック投手がいるから、外国人枠を気にしながら、メルセデス投手とヤングマン投手を入れ替えていくといいかなと思いうよね。
あと1人2人は、日本人が欲しいよね。今村投手、田口投手、あと新人の高橋投手が入ってこれればね。

ヤクルトは、小川監督に話を聞くと、打線の方は信用していると、川畑選手のところに、2年目の村上選手が駒として入ってくると、野手は大体固まる。投手も、去年のようなケガ人が出ていないから、先発ローテーションが数えられると。去年は、ケガ人が多くて、計算できなかったからね。

阪神は、打線がどうなの?って。投手陣はよくなったけどね(苦笑)

中日も、目玉がないよね。新聞読んでも、2軍の根尾選手と松坂選手の話題だけだったでしょ。まずは、阪神に移籍したガルシア投手の穴を埋めないといけないよね。

DeNAは、去年、一昨年の成績で、選手が自信をつけてきたよね。あとは、投手が固まればね。
いい投手のは沢山いるんだよ。去年、孤軍奮闘した東投手が故障しているけど、新人の上茶谷投手が評判がいいし、ラミレス監督は、そういう選手を積極的に使うじゃない。だから投手陣はそこそこいいだろうと、あとは抑えの山崎投手の調子だね。

■ 新しい競技は、パラスポーツに興味がある

‐‐ 2020年東京オリンピック・パラリンピックも近づいています。何か、新たなスポーツで実況してみたいものはありますか

いま、番組「ニッポンチャレンジドアスリート」(ニッポン放送 月~金 13:42~放送中)のナレーションをやっているでしょ。だから、パラスポーツに興味はあるよね。去年、視覚障がい者柔道の実況をやった事があるんだよ。
でも、基本は野球。楽しく、感動的にやりたいね。

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(Write よこいみちひと)

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