リオでの目標は6位。ベスト4に入るのは東京パラリンピックでと設定しています。【及川晋平(車椅子バスケットボール日本代表HC)インタビュー】

【ニッポンチャレンジドアスリート】
このコーナーは毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを伺います。

及川晋平

及川晋平(おいかわ・しんぺい) 1971年、千葉県出身、45歳。16歳の時、骨肉腫のため右足を失い5年間の闘病生活を経験。その後、車いすバスケットボールと出逢い、2000年に選手としてシドニーパラリンピックに出場。2013年から男子日本代表のヘッドコーチに就任し、チームをリオへと導いた。史上最強と言われる代表を戦術面で支える知将と言われている。

―16歳の時、骨肉腫のため右足を切断。高校も中退し、5年間の闘病生活を送ることになった。退院はしたが、その時の状況は?

及川 抗がん剤の治療もできず、肝臓の値が戻って来ず、次の治療ができるような状況ではなかったので家に帰ってもいいんじゃないかということで、退院しました。

―まずは義足を着けて長時間生活できるようになるため、山を登ったり、アルバイトをしたり、日常生活の中で徐々に体を慣らしていった及川。そんなある日、知人の勧めで車椅子バスケの強豪チーム・千葉ホークスの練習を見学。そこで及川は大きな衝撃を受けた。

及川 当時、ちょうどルールが変わって義足の選手が車椅子バスケットボールという競技でようやくプレー出来るようになった頃なんです。以前は義足の選手はプレー出来ませんでした。「どうせ障がい者の車椅子のレベルの低いバスケットだろう」と上から目線で思っていたのですが、実際に車椅子バスケットボールを観た時にスピードとか激しさとか迫力とかが、「これはバスケットボールだな」という印象を持ったことが衝撃でした。

―退院後、日本で大学に進学する道もあった及川だが、22歳で単身、アメリカへと渡った。

及川 いろいろなことを探していた時に、英会話が好きで、英会話教室に通っていました。いつか英語を話したいなと思っていた時に、留学すれば英語も話せるようになるし、社会に出た時に一つの武器になるのではないかと思いました。それと、このドロドロした障がいに対するコンプレックスをなんとかして打破したかったということもあり、自分への挑戦ということでアメリカへ行きました。

―渡米先はアメリカ西海岸、当初、及川はアメリカで車椅子バスケットボールがプレーできるとは思っていなかった。

及川 シアトルにいた時に、イエローページでシアトル・スーパーソニックスというNBAのチームが車椅子バスケットボール・チームを持っているというのを見つけて、訪ねて行ってチームに入れてもらいました。障がいを持って帰って来たアメリカの軍人さんたちのベテランズという障がい者スポーツを支援するグループがある。キャンプをしているので、そこに行けばいろいろと教えてもらえるという話を聞いて、そのキャンプに参加しました。そこがイリノイ大学でした。

―及川はそこで恩師となる人物と出会う。パラリンピックでカナダ代表を率い、シドニー、アテネ大会で連続金メダルに導いた名将、マイク・フログリーだ。

及川 最初、フログリーも2年目で、僕も選手としてスタートしたばかりでした。日本だと、頑張って先輩の技術を盗んで…というような環境なのですが、アメリカのキャンプでは、そんなことをしなくても一つ一つをコーチが理論立てて教えてくれるということが衝撃でした。プレイヤーの時にはそういうことを教わりました。僕がコーチを目指すようになってからは、僕のコーチのコーチになってくれました。その時には準備することの大切さ、バスケットボールのロジックで組み立てていくこと。またバスケットボールのダイナミクスや、人として成長して行くことなど、いろいろな角度で学ばせていただきました。

―フログリーコーチからさまざまなことを学んだ及川。中でも特に印象的だった内容とは?

及川 まず、楽しむということを教わりました。フログリーに会って、なぜこんなに楽しいのだろうということを考えました。たとえレベルが高いことでも最初から楽しんで向き合っていけるような環境とか文化を日本でも作っていきたいです。

―2013年、日本代表のヘッドコーチに就任した及川、まずは、どんな方針でチーム作りを始めたのだろうか?

及川 まずは4年間のプランを立てるということから始めました。フログリーにも言われていたのですが、選手たちに対してもその4年のプランを見せつつ、世界で結果を出すために何が必要なのかということを具体的に、緻密に考える。選手たちが漠然と世界に勝つぞ、という気持ちだけではなくて、どうすれば世界に届くのかということを理解した上でプレーや練習ができるようなチーム作りから始めました。

―日本が世界で勝ち抜くために及川が重視したことは?

及川 一番注力したのは、戦略、一つ一つの行動を考えること。向こうは体格と力なので…もちろん、パラリンピックで戦っていくための力やフィジカルは必要ですが、スキルにインテリジェンスを盛り込んで、体格に勝つための具体的な方法を持ち合わせてプレーをしていくことを徹底的にやってきました。

―現在、代表には二人のエースがいる。キャプテンの藤本玲央と副キャプテンの香西弘明だ。この二人をチームの中心した理由とは?

及川 藤本は国内のバスケットボールをよく知っている。香西は海外で大学を卒業してドイツのプロ選手になったという経緯から、海外のバスケットの戦い方や考え方を熟知しています。その両方を兼ね備えたチーム作りをしたいということから藤本には、世界に挑戦していくこととはどういうことなのか、香西には海外で学んだバスケットボールを日本のチームにどうやって投入して発展させていくのか、ということを宿題として出しています。

―いよいよ開幕が近づいてきたリオパラリンピック。予選リーグ、日本はトルコ、スペイン、オランダ、カナダ、オーストラリアの順で戦うことになった。決勝トーナメント進出に向け、鍵となる試合は?

及川 3日目のオランダと4日目のカナダには勝ちたいですね。そうすると2勝出来るので決勝トーナメントに入る可能性が出てきます。そして残る、トルコ、スペイン、オーストラリアのどこかに1勝、または2勝して、いい条件で決勝トーナメントに入ればメダルラウンドに入る可能性が出てきます。

―今大会、及川が目標に掲げるのは6位入賞。そこにはこんな意味がある。

及川 今までの最高順位が7位なのですが、今は世界のレベルから当時よりも下がってきています。その状況のなかでメダルを目指すというような、一発逆転的な目標設定をすると無理がかかってくる。まずは着実に今までの最高順位を確保できるためのプランニングをしてきました。6位ということはベスト8で負けるということなので、次のベスト4に入るのは東京でと設定しています。ベスト4に入るということは間違いなく、メダルを狙える位置に入るということです。今の日本の状況を考えるといい結果を出すためには大接戦しかない。最初から最後まで観ていただきたいと思います。

―最後に及川からメッセージをもらった。

及川 リオに向け、チームを4年間やってきました。感謝の気持ちをどこかで表すとしたらリオだと思います。ただ、世界の壁は大きいので、ここは僕らと変わらず、一緒に緊張して一緒に気持ちを込めて応援していただきたいと思います。

(2016年8月29日~9月2日放送分より)

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ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
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