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1968年3月5日、ザ・スパイダース「あの時君は若かった」リリース~若さを相対化したこの名曲の作詞者は?

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1968年3月5日はザ・スパイダース「あの時君は若かった」のリリース日。

あの時君は若かった(中略)小さな心を苦しめた僕をうらまずにいておくれ、と歌う詞。それは、恋をした時には、どうしても傷つけ合ってしまう人間の、抜き差しならない残酷な本性を、まるで晩年になってから見つめているような歌だ。そんな深く普遍的な人生観を持ちながら、メロディーは性を包むような明るい優しさに満ちている。ポップソングとしては、そんな究極の世界観を持つ傑作である。


似たようなテーマにはボブ・ディランの1964年の曲で、ザ・バーズにカバーされ有名になった「マイ・バック・ペイジズ」がある。「その頃の僕は老いぼれだった、今の僕はずっと若い」と歌う。難解な詞だが、社会に苦悩したかつての自分を老人のようだったと述懐する内容だ。2011年には70年安保学生運動の青春を描いた川本三郎原作の映画『マイ・バック・ページ』のタイトル元になり主題歌として真心ブラザーズと奥田民生で日本語訳詞で歌われている。

ニール・ヤングの72年「オールド・マン」という曲では、老人に向かって「ぼくの生き様を見ろよ、あんたとそっくりだ」と若い自分の様子を語る。

ディラン、スパイダース、ニール・ヤング、これらの曲は、60年代や70年代初頭、青春が無限に謳歌されていた一方で、ロックの中で若さを自虐を伴った諦観に包んだ。それもまた当時の先端的感性だった。

当時1939年1月12日生まれのムッシュかまやつはたったの29歳。結婚が早かった時代とはいえ、あの時僕は若かった、と歌うには十分に早い。ムッシュは徹子の部屋で「メンバー皆があの時若かったので、この歌の意味がわからなかった。だからこの歌を作っておいて良かったと、思っています」と語ったそうだから、メンバーもこの歌の鋭いテーマには想いが及んでなかったということ。

若い行動は、無意識の乱暴さ、残忍さを持っている。それに気づくのは普通は老いてから。しかし年齢的に若い状態で、精神的に老いた状態になったり、老成する場合もあると、これらの曲は教えてくれる。

若さを相対化した「あの時君は若かった」の詞は「マイ・バック・ペイジズ」「オールド・マン」に負けない哲学性を持っていた。ムッシュの詞は凄い? と、クレジットを見ると、作詞:菅原芙美恵と書いてある。誰だ? 検索しても全く詳細が出てこない。『エッジイな男ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)を僕と共著した中村俊夫が教えてくれた。

「『あの時君は若かった』は明星か平凡の募集歌。その当選作の詞で、当時、菅原芙美恵は高校生だった」とのこと。

なんと! 一女子高生がこの老成した、しかも男目線の詞を書いたのだ。戦後の男女平等の気風の中、60年代の女子高生の感性には恐るべき鋭さがあったことを物語る作品である。

この曲がリリースされた1968年はパリで5月革命が起こる若者のエネルギッシュさが際立つ年。67年2月にデビューしたタイガースが台風の目となり、GSは爛熟期に入っていた。スパイダースはそれに先がけ、66年9月の「夕陽が泣いている」67年7月の「風が泣いている」の2大浜口庫之助曲でそれぞれ大ヒットを飛ばした。しかしムッシュはそれらの歌謡メロディーによって、ロック的でありたい自分の存在感を否定されたと思った。そしてスパイダースを、ロックを気ままにカバーしたアマチュア時代に戻したかったと一生後悔するほど、大きなフラストレーションを抱えてしまった。



すでに66年7月に「サマー・ガール」のB面「なればいい」というサイケデリック曲をものにしていたムッシュ。リアルタイムにビートルズとも競っていた。だから復古的反動的な浜口メロディーを「オジンくっせえ!」と捉えただろう。確かにムッシュが現地にいって仕入れていたスウィンギン・ロンドン的感性こそは最先端だった。


だが本家ビートルズのサイケ・レコーディングは全くブラックボックス状態、追従を許さない。それに67年に発売された『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』はダウナーな曲調が多く、リアルタイムにはピンと来なかった輩も多かった。まだツェッペリンなどハードロックは生まれていない。

そんな中でムッシュが選んだのは「もう一度もう一度」(「あの時君は若かった」B面)でイントロでパクった「サーファー・ガール」のビーチボーイズ。67年の『ワイルド・ハニー』のニッチ曲「すてきなブーガルー」のリフを「赤いドレスの女の子」(「真珠の涙」B面)に使うというマニアぶり。ハーモニーが得意なスパイダースの性質上、バンドでの方向性はビーチボーイズからソフトロック側に向かっていた。

好機はやってきた。映画『ザ・スパイダースの大騒動』の主題歌として、浜口メロディーにやり返す強力曲をムッシュは用意した。「あの時君は若かった」はソフトな語り口ながらも芯のある極上のメロディーで始まる。そしてそれまでになかった必殺の転調が用意された。「それでも君が望むなら~」おお! 景色が変わった。驚くのも束の間、さらに「僕は待ってるいつまでも~」と驚愕の再度の転調が起こるのである。

この画期的な転調を支える編曲は、ソフトロックの王者アソシエーション風、いやそれよりも強力な、ムッシュ中心の絶妙な和声のコーラスだ。その斬新さにより、スパイダースの考える「若さの本質」は、その鋭すぎる歌詞と共に永遠に音盤に封じ込められた。

問題は鮮やかに「キリキリキリキリキリ」と鳴り響くギターのイントロだ。これがまず耳に飛びこむ。これは一体なんだろう? 再び中村俊夫に登場してもらおう。

「イントロのギターはヴァニラ・ファッジの「キープ・ミー・ハンギング・オン」(67年、シュープリームスのカバー)をヒントにしたと、インタビューで井上尭之さんが語ってました」。

67年のロックファンを魅了した「キープ・ミー・ハンギング・オン」の大ヒットは、ツェッペリンなどのハードロックの台頭を予言する最重要曲。ソフトロック風の優しい曲に、この激しい共鳴音のギターを持ってくるとは! 「夕陽が泣いている」の歌謡性に抵抗し、ディストーションのギターで切り込んだ井上尭之、そのロッキンな一念はここにも楔を打った。実は一つ前の映画『ザ・スパイダースの大進撃』主題歌「夜明けの太陽」(67年12月)にも使用されたアイデアだが、再度の利用により、大ヒットの本脈を得た。

さらに井上は、皆さんご存じの『太陽にほえろ!』(72年)のテーマにもこの手法を適用して大ヒット、生涯のフレーズとなった。

早すぎたサブカルチャー、GSという不安定なカテゴリーの中で、悔悟も交えながらロックを求めたムッシュかまやつとスパイダース。ロックが日本に定着するにはそれからさらに多くの時間が必要とされた。しかし先駆者である彼らは、GSのロック的表現にハードとソフト、様々なアイデアを惜しげもなく投下した。それは確かに人々の心に息づいた。

彼らの真っ直ぐな志と表現力はこの曲で、若さを突き刺して、人生への普遍的なメッセージを獲得したのである。

ザ・スパイダース「あの時君は若かった」「夕陽が泣いている」「風が泣いている」「サマー・ガール」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】サエキけんぞう(さえき・けんぞう):大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。『未来はパール』など約10枚のアルバムを発表。1990年代は作詞家、プロデューサーとして活動の場を広げる。2003年にフランスで「スシ頭の男」でCDデビューし、仏ツアーを開催。2010年、ハルメンズ30周年『21世紀さんsingsハルメンズ』『初音ミクsingsハルメンズ』ほか計5作品を同時発表。2016年パール兄弟デビュー30周年記念ライヴ、ライヴ盤制作。ハルメンズX『35世紀』(ビクター)2017年10月、「ジョリッツ登場」(ハルメンズの弟バンド)リリース。中村俊夫との共著『エッジィな男ムッシュかまやつ』(リットーミュージック)を上梓。2018年4月パール兄弟新譜『馬のように』、11月ジョリッツ2nd『ジョリッツ暴発』リリース。

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