40年前の本日2月1日、沢田研二「カサブランカ・ダンディ」がリリース~現代では絶対に生まれないダンディズム歌謡の決定版

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2019年のジュリーは1月5日、大宮ソニックシティでのコンサートで幕を開けた。昨年10月、観客の不入りを理由に当日キャンセルして物議を醸した、さいたまスーパーアリーナの代替公演である。実は筆者が初めてジュリーのワンマンライブを体験したのも、大宮ソニックシティ。2013年10月19日、LIVE 2013「Pray」ツアーのステージだった。その日は、本人が出演したマンズワインのイメージソング「あなたに今夜はワインをふりかけ」(77年/アルバム『思いきり気障な人生』収録)でスタート。ジュリーを聴いて、歌って、振りまで真似て育った世代としては、テンションが上がらないはずがない。その後は近年の作品や新曲を中心としながらも、往年のヒットシングルも8曲ほど歌唱。その口火を切ったのが、「ウイスキーボトル(但し、このときはペットボトル)の空中回転」と「口に含んだウイスキー(このときは水)の霧吹き」という、往時のパフォーマンスを再現してくれた「カサブランカ・ダンディ」であった。当時65歳。MCでは「前期高齢者になり、年金を貰う生活に入りました」と話し、笑いをとってはいたものの、圧倒的なボーカル力は衰え知らず。その日の興奮と感動は鮮明に焼き付いている。

1948年生まれの沢田研二は、ザ・タイガースのボーカルとして、67年2月5日に「僕のマリー」でデビュー。このとき自ら付けた「ジュリー」という愛称が、彼が敬愛する女優、ジュリー・アンドリュースに由来することはあまりにも有名だ。GSブームの頂点に君臨する人気バンドとしてヒットを連発したタイガースは、71年1月に解散。その直後、ザ・スパイダースにいた井上堯之と大野克夫、ザ・テンプターズ出身の萩原健一と大口広司、タイガースの僚友・岸部修三(現・岸部一徳)らとロックバンド“PYG”を結成した沢田は、その活動と並行して、71年11月にシングル「君をのせて」で本格的なソロデビューを果たす(ソロアルバムはタイガース時代の69年12月に『JULIE』をリリースしている)。

40年前の本日2月1日、沢田研二「カサブランカ・ダンディ」がリリース~現代では絶対に生まれないダンディズム歌謡の決定版
その後の経歴は輝かしいの一語に尽きる。72年、アルバムからシングルカットされた「許されない愛」のヒットで紅白歌合戦に初出場。73年はソロ初のオリコン1位を獲得した「危険なふたり」で日本歌謡大賞を受賞する。初期(71~75年)のシングル曲のほとんどは「作詞:安井かずみ、作曲:加瀬邦彦」のコンビによるものだったが、プロデューサーも務めていた加瀬の推薦により、73年以降は早川タケジが衣装デザインやアートワークに参画。沢田+安井+加瀬+早川のカルテットは74年、「追憶」でもオリコン1位を獲得する。その間、ニューロックからロックンロール、さらにはフレンチポップス路線まで、様々なタイプの楽曲をヒットさせたジュリーだが、最初の転機は75年にやってきた。自身が主演した連続ドラマ『悪魔のようなあいつ』(TBS系/75年6月~9月)の挿入歌として制作された「時の過ぎゆくままに」で、ドラマの原作者でもある阿久悠が初めて詞を書き下ろしたのだ。当時の阿久は『スター誕生!』(日本テレビ系)出身のアイドルから、演歌、アダルト歌謡まで、何でもござれのヒットメーカー。沢田・阿久という当代一の売れっ子同士に、当時「井上堯之バンド」のキーボーディストとして帯同していた大野克夫が作曲・編曲で参加した「時の過ぎゆくままに」はオリコン1位を5週連続で獲得する自身最大のセールスを記録した。

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メインライターが「作詞:阿久悠、作曲:大野克夫」に移行した第2期(75~79年)、ジュリーはロックと歌謡曲との融合を図った先進的な音楽性のみならず、奇抜なファッションやアクションも注目の的となり、時代を象徴するポップアイコンとなる。なかでも「勝手にしやがれ」はオリコン1位を通算5週獲得し、77年の日本歌謡大賞と日本レコード大賞をダブル受賞。歌の途中で帽子を投げ、サビでは両手を挙げて左右に振る仕草が子供のたちの間でも大流行した。翌78年にスタートした『ザ・ベストテン』(TBS系)では「サムライ」が4週連続、「ダーリング」が7週連続で1位を獲得。番組内で発言した「1等賞」が最も似合う男として老若男女に認知され、「LOVE(抱きしめたい)」では紅白歌合戦史上初めてポップス歌手としての大トリを務めるなど、名実ともにトップスターに登りつめたのだ。そんな時期に制作された「カサブランカ・ダンディ」は79年2月1日のリリース。今日でちょうど40年となる。「時の過ぎゆくままに」から始まった阿久・大野コンビにとって10作目のシングルにあたる本作は16ビートのシャッフル、いわゆるハーフタイムシャッフルによるマイナー調のロックナンバーで、タイトルは米国映画『カサブランカ』(42年)に由来。これは阿久が好んだ手法で「勝手にしやがれ」「サムライ」「ダーリング」では、映画の題名をそのまま引用している。

40年前の本日2月1日、沢田研二「カサブランカ・ダンディ」がリリース~現代では絶対に生まれないダンディズム歌謡の決定版
無類の映画好きとして知られる阿久はエッセイで、19歳のときに『カサブランカ』を初めて観て、主演のハンフリー・ボガート(愛称は“ボギー”)に男の粋を見たと述懐している。そのスタイルを真似ようとしたが、トレンチコートやソフト帽は高くて買えないので、煙草の吸い方を研究したらしい。それから20年余り。41歳になった阿久は、『カサブランカ』に対するノスタルジーを漂わせた本作で、女の頬を張り倒したり、背中を向けて煙草を吸ったりする映画の主人公(=ボギー)をピカピカの気障と表現。カッコいいジュリーにあえて「あんたの時代はよかった」と歌わせ、当時すでに失われつつあったダンディズムを“やせ我慢”として活写した。オリコンでは最高5位、『ザ・ベストテン』では1位に到達した『カサブランカ・ダンディ』だが、きっと今なら「女性への暴力や喫煙を描く詞はいかがなものか」と言われてしまうのだろう。古い映像作品の放送時に「作品の時代背景や制作者の意図を尊重し、オリジナルのまま放送いたします」という断り書きが表示されるようになって久しいが、楽曲の演奏時にそういうテロップが入るのは無粋の極み。歌謡曲がそうならないことを祈るばかりである。

40年前の本日2月1日、沢田研二「カサブランカ・ダンディ」がリリース~現代では絶対に生まれないダンディズム歌謡の決定版
沢田研二「君をのせて」「時の過ぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「カサブランカ・ダンディ」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】濱口英樹(はまぐち・ひでき):フリーライター、プランナー、歌謡曲愛好家。現在は隔月誌『昭和40年男』(クレタ)や月刊誌『EX大衆』(双葉社)に寄稿するかたわら、FMおだわら『午前0時の歌謡祭』(第3・第4日曜24~25時)に出演中。近著は『ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛人』(シンコーミュージック)、『作詞家・阿久悠の軌跡』(リットーミュージック)。
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