パラリンピックで4連覇することが最大の夢です。【正木健人(視覚障がい者柔道日本代表)インタビュー】

【ニッポンチャレンジドアスリート】
このコーナーは毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを伺います。

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正木健人(まさき・けんと)
1987年兵庫県・淡路島生まれの29歳。エイベックス所属。生まれつき視覚に障がいがあり、弱視の状態ながら中学1年で健常者に交じって柔道を始め、柔道の名門・育英高校から天理大学に入学。天理大では当時監督だったシドニー五輪銀メダリスト・篠原信一さんの指導を受ける。大学在学中から視覚障がい者柔道に転向し、2012年、ロンドンパラリンピックに出場。初出場にして、男子100キロ超級で金メダルを獲得。リオパラリンピックでは2連覇を目指す。

―幼い頃から目の前のものが識別しにくく、光の刺激にも弱かった正木、しかし正木はその障がいをあまり気にせず育った。

正木 周りの人に比べると少し目が悪いとは思っていましたが、視覚障がいというものがどういうものなのかわかっていなかったので、自分ではほとんど気にしていなかったですね。

―中学に入り、選んだのが柔道部だった。

正木 柔道部に入るきっかけは、一つ年上の幼なじみの人がたまたま柔道部にいて、その人に誘われて入りました。

―もともと体格に恵まれていた正木はすぐに頭角を現し、柔道の名門・神戸の育英高校から誘いを受け、入学。決め手になったのは育英高校OBでシドニーオリンピック銀メダリスト、篠原信一だった。

正木 育英高校の先生が何度も自分の通っていた中学校に足を運んでくれて、話しをいろいろしてくれました。その頃、篠原信一先生が淡路島で公演をするというので行った際、篠原先生の話を聞き、その場で決断いたしました。握手をしてもらった時の手の大きさに驚きました。

―柔道の名門、神戸の育英高校に進学し、猛練習を積んだ正木、ものがよく見えないのは当たり前と思っていた正木はこの時もまだ自分が視覚障がい者だという認識はなかったと言う。そんな状態の中、正木は高校時代どんな練習を積んでいたのだろうか?

正木 すごく走りました。近くの公園で坂道ダッシュをしたり、真夏にアスファルトの上に手を置いて手押し車をして手のひらをやけどしたこともありました。高校3年生のインターハイの前の7月半ばからの練習が一番きつかったです。午前中に立ち技を10分×9本やり、レギュラーは先生から見た実力に合わせて一本取りという稽古をするのですが、自分の場合は15人取るまで休憩するなと言われていて、きつかったですね。そして午後からは走り込みです。その練習が2週間続いて、朝・昼・晩とすごい量のごはんを食べていたのに、体重は7キロ落ちました。

―育英高校を卒業すると、正木は憧れの篠原信一が柔道部の監督を務めていた天理大学に進学した。

正木 天理大学に入学してからは篠原先生が身をもって指導してくれました。毎日稽古をつけてくれて攻撃する時に必要な馬力もつきました。執念を持って最後まで勝ちを取りに行けということは常々言われていました。

―ものが見えにくい不自由さを感じながらも大学まで健常者の中で柔道に取り組んでいた正木、しかし、大学4年生の時、就職活動を始めて自分の障がいに改めて直面することになった。

正木
 大学卒業してからの就職は警察官とか刑務官を目指していました。試験は受けていないのですが、試験を受けるために視力検査が必要だということを聞いて視力検査の他に識別検査や視野検査というものもあり、これは自分には無理だなとそこで諦めました。

―卒業後の進路について悩んでいた時、正木はある人物と出会う。徳島県立盲学校の教師でバルセロナパラリンピック95キロ級の金メダリスト高垣治。高垣は正木にこんなアドバイスをしてくれた。盲学校で将来のための資格を取り、柔道はパラリンピックを目指せばいい。

正木 パラリンピックを知ったのもその時が初めてでしたし、最初は盲学校で鍼灸師の資格を取るために勉強をしながらパラリンピックを目指さないかと言われ、その場でお願いしました。

―正木は大学を中退し、2011年に盲学校に入学、将来のための勉強を続けながら、視覚障がい者柔道に転向、パラリンピックを目指すことになった。組み合った体勢から始める以外は通常の柔道とほぼルールは同じ。初めて出た国際大会はトルコで行われた世界選手権100キロ級。正木は初出場でみごと初優勝を飾った。

正木 視覚障がい者柔道に転向して、初めて出場したトルコの世界大会の時は、緊張はしましたが、組んでから始まるスタイルは自分には合っていて、生涯で一番いい内容で優勝できた試合でした。

―2012年、正木はロンドンパラリンピック男子100キロ超級の代表に選ばれた。1回戦、いきなり最大のライバルである、アゼルバイジャンの選手と対戦。

正木 1回戦の試合は早く決まりました。開始30秒くらいで投げて勝ちました。パワーが強い選手とやっている時は試合が続くとこちらの体力も消耗するので早く決めようと思っていました。投げた時にはこれで優勝するという確信は持っていませんでした。次の試合に対していい流れがつくれたとは思いました。

―決勝戦も正木が快勝。金メダルを獲った瞬間の心境は?

正木 ホッとしました。トルコの大会で勝ったことによって、勝って当たり前のように周りも言われていたので、プレッシャーもあったのだと思います。勝ててよかったと思いました。

―リオでは世界の強豪から目標にされる立場となる正木、この4年間、正木はどう練習に取り組んできたのだろうか?

正木 ロンドンが終わってからの4年間は、全て自分が蒔いた種なのですが、しんどい4年間でした。ロンドンに出た時は盲学校在籍中で資格を取るための勉強が中心だったのでロンドンが終わってからの1年半は柔道の練習はほとんどできませんでした。その状態でエイベックスに入社して天理に拠点を置いて天理大の柔道部と練習をしますが、練習不足で弱った体でいきなりレベルの高い天理大の選手と練習をして、まともにできるはずがなかったです。

―実は古傷も正木に追い打ちをかけた。

正木 古傷だった膝や腰をまた痛みだして練習がうまくできないという時期が長く続きました。試合も何度か出場しましたが、ひとつもタイトルが獲れず、2位、3位止まりでした。そんな中で今までにないくらい、いろいろな人がサポートしてくれてとても恩を感じた4年間でした。

―正木にはさらに大きな夢がある。

正木 一番の夢はパラリンピックの4連覇です。パラリンピックの柔道競技で3連覇した人はいます。自分が在籍していた徳島県立盲学校の教諭である藤本聡選手です。その3連覇を上回る4連覇が最大の夢です。引退後は選手をサポートして金メダルに導きたいと思っています。

(2016年8月22日~8月26日放送分より)

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(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
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