何十年経っても、あの日のまま、そこにある『二俣尾駅前・多摩書房』 「あけの語りびと」(朗読公開)

今日は、東京の一番西の端にある本屋さんのお話です。
東京都の地図を頭の中でイメージしてみてください。
左右に細長い東京都。左の奥多摩方面が、西です。

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立川駅から青梅線に乗って、青梅駅へ…。
そこから4つ目の駅、「二俣尾(ふたまたお)駅」のホームに電車が到着する直前、左の窓から、小さな本屋さんが見えてきます。

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ここが、東京で一番西の端にある本屋さん「多摩書房」です。
屋根の上の、古くて大きな看板が目を引きます。
ペンキで「主婦の友」。その下に「多摩書房」。
でも、多摩書房の「多」の字が風雨でハゲ落ちています。

昭和30年代に建てられたお店は木造の平屋で、低い軒(のき)をくぐって中に入ると、6坪ほどの店内は十秒もあればぐるっと回れます。
それでも、店内の棚には、新刊本、文庫本、男性誌、女性誌、実用書、ガイドブック、写真集、児童書、絵本などが、びっしりと並び、店の奥の片隅にはアダルトコーナーもあるんですね。
入り口のレジには店主の萩原正雄さんが座っています。
昭和24年生まれ、67歳の正雄さんは多摩書房の二代目です。

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もともとは、昭和32年、正雄さんの母親が開いた貸本屋から始まります。
父親は横田基地の進駐軍で働いていましたが、その後、本の取次店と契約ができ、本や雑誌を扱う書店となりました。

本屋さんを開いて、しばらくすると父親が配達途中、バイク事故を起こし入院。
中学3年生だった正雄さんは夜間高校へ通うことを決意し、15歳からずっと、この店を守り続けてきました。

昭和40年代に入ると雑誌ブームが到来!
「少年ジャンプ」や、少女雑誌「りぼん」「なかよし」が毎週200冊ずつ、飛ぶように売れました。

今では無人駅となった二俣尾駅ですが、かつては近くの山からセメントの原料「石灰石」が採掘され、この駅から運ばれていきました。

「当時はね、若い家族が移り住んで、子供もたくさんいてね、そうそう、雑誌の発売日は、朝8時に店を開くんだけど、店の外には、いまかいまかと、子供の列ができるほどだったね。それから、昭和43、4年ごろだったかな。百科事典ブームがあってね、父親と二人で、各家庭を回ってチラシを置いていくと、ぽんぽんと、数百セットが売れたんだ。今から思うと、夢のようだね!」

正雄さんは、懐かしそうに話してくれます。

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しかし、そんな景気も長く続きませんでした。
すぐ近くにコンビニが開店すると、週刊誌、月刊誌の定期購読者が一気に離れ、便利で手軽な時代の波に多摩書房は飲み込まれていきました。

「おやじが荒れて、お袋とギクシャクする日が続いて、もうダメだ、店を畳もう、と、何度も考えました。それでも、奥多摩から、さらに、その奥の、山梨の村から、本や雑誌を楽しみに買いに来てくれるお客さんがいて、そんなお客さんの顔を見たら、店をやめるなんて、言えないよね」

一日一人もお客さんの来ない日もあります。
それでも、店を開いていると懐かしいお客さんが訪ねてきます。
「りぼん」や「なかよし」を買いに来た女の子が、学校を出て、都心に就職して、結婚して、子供ができ、夏休みに、子供を連れて、里帰り。

「おじさん! まだ本屋さん、やってたの! うれしい!」

おかっぱ頭の女の子が、おばちゃんになって、お店に来てくれます。
子供の頃の多摩書房が、何十年経っても、あの日のまま、そこにある。
それが、うれしい! と言ってくれるんです。

「長く続けるコツ? そうだな、『我慢』だね。」と正雄さんは笑います。

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「主婦の友」の看板は、多摩書房のトレードマーク。

「台風で、何度も飛ばされそうになってね、雨や風に、耐えている、この看板を見上げると、自分も足腰が立つ限り、この店を続けていこう、と思うんですよ。」

2016年8月31日(水) 上柳昌彦 あさぼらけ あけの語りびと より

朗読BGM作曲・演奏 森丘ヒロキ