あの芸能人はこのグループにいた!? 歌謡曲ここがポイント!

歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)

最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。

今年、一般ニュースとしても大きく取り上げられたのが、SMAPの解散問題です。結局今年限りで解散、今後は各自ソロ活動ということになりましたが、時の流れというのは恐ろしいもので、何十年か経つと「え、キムタクってSMAPだったの?」みたいなことになるかもしれません。
哀川翔・柳葉敏郎が、一世風靡セピアのメンバーだったことはあまりに有名ですが、かつてグループの一員として、歌謡界で一世を風靡したのは彼らだけではありません。今回は、現在別なジャンルで活躍する芸能人の「意外なグループ仕事」を見ていきましょう。

CHA-CHA

1988年、萩本欽一が司会を務めた夕方の帯番組『欽きらリン530!!』にレギュラー出演。欽ちゃんファミリーの一員としてデビューしたグループがCHA−CHA(チャチャ)です。
欽ちゃんはまず「茶々隊」というユニットを結成。その中には、すでにSMAPのメンバーだった草彅剛もいたのですが、そこから選抜した5人で結成されたのがCHA−CHAでした。そのメンバーの一人が、勝俣州和です(ジャケット最前列右)。
1988年9月、番組エンディングテーマの『Beginning』でデビュー。この第2弾『いわゆるひとつの誤解デス』は、なんとオリコン2位まで上昇。彼らの最大のヒット曲になりました。
勝俣は「オレは昔、草彅くんと一緒にやってたんだ」「SMAPより人気があったんだぞ!」と若い子にいくら言っても信じてもらえない、とよくネタで言っていますが、バラエティもこなせる男性アイドルユニット、という意味では、まさにSMAPの良き手本となったグループでした。そして草彅の将来を考え「キミはこっちに入らなくていいから」と、敢えてメンバーから外した欽ちゃんの先見の明、さすがです。

摩天楼ブルース

今や日本を代表するDJ・赤坂泰彦ですが、彼はもともとドラマーでした。1982年、東京JAPのメンバーとして芸能界デビュー。その最大のヒット曲が、小泉今日子主演のドラマ『少女に何が起ったか』の主題歌『摩天楼ブルース』(1984)です。ジャケット一番奥に写っているのが、DJ AKASAKAの若き日の姿。当時の芸名は「ヤス赤坂」でした。
この曲はブルースというより、むしろラテンムード歌謡ですが、作曲は筒美京平。そして当時、超売れっ子だった売野雅勇の詞も、いかにも1980年代的です。嘘を続けることに苦しさを感じながら、別れを切り出せない女。二股を掛けられていることに薄々気付きながら、それを認めたくない男…時代はバブル前夜、恋愛のイニシアチブを女性が握る時代がやって来るのですが、そんな時代の雰囲気をうまく掬い取ったこの曲で、ヤス赤坂、いいドラム叩いてます。

時代を越えて

2時間ドラマ、刑事モノ、映画など、俳優として引っ張りダコの杉本哲太も、もともとバンド出身だったことは、もはや「意外な過去」なのかもしれません。
1981年、横浜銀蝿の弟分バンド、紅麗威甦(グリース、と読みます)のリードボーカルとして芸能界入り。82年、松田聖子を当てこすったデビュー曲『ぶりっこROCK’N ROLL』で、オリコントップ10入りを果たし、第2弾の『時代(とき)を越えて』もスマッシュヒット(ジャケット一番右が杉本)。同時期に銀蝿一家としてソロデビューした嶋大輔と共に、アイドル的人気を集めました。楽曲の出来はさておき、兄貴分の横浜銀蝿と共に、ロックの敷居を思いっきり引き下げたのは確かです。
8年前に一日限りの再結成ライヴを開催して話題になりましたが、駅長役で出演した『あまちゃん』でも、もっと歌えばよかったのにと思います。若い世代の皆さんに「杉本哲太と嶋大輔は、今で言うと三代目J Soul Brothers的なポジションにいたんだぞ」と言っても信じてもらえないでしょうが、1980年代前半は、確かにそんな時代だったのです。

“あの人のグループ仕事”ここがポイント!
<あの女性タレントは、こんなグループにいた!>

・シャワー『Do Up・愛・ing(ラヴィング)』(1982)
…8人組アイドル。15歳・RIKACO(当時村上理佳子)のデビュー曲。

・セブンティーンクラブ『ス・キ・ふたりとも!』(1985)
…おニャン子加入前の工藤静香が在籍。元・清原和博夫人、木村亜希も。
・FAIRCHILD『探してるのにぃ』(1990)
…ボーカルはYOU。白熊の着ぐるみを着てCMにも出演。

【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。