”ハチ公前”で逢える東日本トップクラスの鶏めし!~大館駅「鶏めし弁当」(880円) 【ライター望月の駅弁膝栗毛】

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特急「つがる」として走るJR東日本のE751系電車。

「つがる」と聞くと世代が上の方は漢字表記の「津軽」のほうがなじみ深いかもしれません。
昔”出世列車”と呼ばれ、上野~青森間を奥羽本線経由で結んだのが急行「津軽」。
この列車は平成初期に廃止され、今の特急「つがる」は青森と秋田を結んでいます。
(画像は2015年5月、大館駅にて)

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さて、駅前の待ち合わせスポットといえば、何と言っても「ハチ公像」!

でも、待ち合わせをする人は・・・実はこのハチ公像、秋田県のJR奥羽本線・大館駅前のものです。
「ハチ公」といえばご存知、秋田・大館生まれの秋田犬。
大館駅前にも戦前から銅像が建てられていたものの、渋谷駅前同様、金属類回収令で供出されてしまいました。
戦後間もなく渋谷の銅像は再建されましたが、大館のハチ公像が再建されたのは1987(昭和62)年のことです。
(参考:大館市ホームページ

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渋谷と違って大館の「ハチ公像」で待ち合わせの人に遭遇したことはほとんどありません。

でも、東日本エリア・トップクラスの「鶏めし駅弁」に遭遇することは出来るのです!!
その駅弁を手掛けるのは、明治時代からこの地で駅弁を手掛ける「花善」さん。
看板駅弁の「鶏めし弁当」が、去年東日本エリアで行われた駅弁の人気投票「駅弁味の陣」で、見事1位の「駅弁大将軍」に輝きました。
この日は、早朝にお邪魔したのですが、お店のドアを開けると早くもフワッと美味しそうな匂いが・・・。

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赤い掛け紙が、食べる前から食欲をそそる「花善」の「鶏めし弁当」。
発売開始は、今から70年近く前の1947(昭和22)年。
戦後すぐ、配給の米・砂糖・醤油・ゴボウをまとめて炊いたのが原型。
これに戦前にあった賄い食の鶏の煮つけを合わせることで誕生したといいます。
今回はニッポン放送「ミュ~コミ+プラス」内「ルートハンター」の取材で伺ったのですが、目の前でキュッと紐をとじていただいた出来たてをいただきました。

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いざ、掛け紙を外せば、彩りも華やか!
待ちきれずにご飯を頬張ると、甘めのもちもちっとした食感と、甘辛な鶏の味わいがたまりません。
秘伝のスープで炊き込まれたご飯には、秋田県産あきたこまちを100%使用。
しかも、このスープは職人さんが季節や気温、湿度によって配合を変えているといいます。
訪れた日も、販売窓口の奥では、1つ1つ手作業で「鶏めし弁当」の調製が行われている様子が垣間見えました。

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大館の「鶏めし弁当」の真骨頂ともいえるのが、折詰いっぱいまでご飯が詰まっていること。
実はコレ、「鶏めし弁当」の歴史そのものでもあります。
「鶏めし弁当」が生まれた昭和20年代は「満腹に食べられることが幸せ」という時代。
この誕生した時のコンセプトをそのままに「お腹いっぱいで、もう食べられない」くらい食べてもらおうということで”多めのご飯”にしているといいます。
折詰を開いたら、この縁の部分にも注目です。

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4月12日までは「大将軍」受賞を記念して、東京駅の「駅弁屋・祭」でも実演販売を行っているという「鶏めし弁当」。
気に入ったらぜひ、秋田・大館の”ハチ公前”へ足を運んで、春の秋田の風景を眺めながらいただきたいものです。

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!
「ライター望月の駅弁膝栗毛」
(取材・文:望月崇史)

連載情報

ライター望月の駅弁膝栗毛

「駅弁」食べ歩き15年の放送作家が「1日1駅弁」ひたすら紹介!

著者:望月崇史
昭和50(1975)年、静岡県生まれ。早稲田大学在学中から、放送作家に。ラジオ番組をきっかけに始めた全国の駅弁食べ歩きは15年以上、およそ5000個!放送の合間に、ひたすら鉄道に乗り、駅弁を食して温泉に入る生活を送る。ニッポン放送「ライター望月の駅弁膝栗毛」における1日1駅弁のウェブサイト連載をはじめ、「鉄道のある旅」をテーマとした記事の連載を行っている。日本旅のペンクラブ理事。
駅弁ブログ・ライター望月の駅弁いい気分 https://ameblo.jp/ekiben-e-kibun/

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