北方領土問題~日ソ共同宣言での2島返還をアメリカが阻止した理由

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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(12月20日放送)に外交ジャーナリストの手嶋龍一が出演。北方領土問題に関しての外交記録文書公開について解説した。

外交記録文書22冊を一般公開

外務省は昨日、昭和30年代前半から60年代にかけての外交文書22冊を一般公開した。それによると、日本とロシアの平和条約締結交渉をめぐって北方領土問題の解決策として取り沙汰されている「2島プラスアルファ論」について、「何らかの譲歩を引き出し条約を結ぶ」との議論が1960年頃にも日本国内にあったことがわかった。

飯田)1960年頃、時の総理は岸信介氏。現総理のおじいさんに当たります。

手嶋)この外交記録文書の公開、原則として半世紀以上経ったら順次、ということなのですが、どれを公開するのか。まだ国家機密に指定されているものもあるのですが、それを決めるのは外交の首脳ということになりますよね。したがって、どれを公開するのかは極めて政治的なものになりますから、一言で言うと、日本のメディアに書かせたいものを上手く誘導して行くということになります。
ここのところ、北方領土に関して大変面白いのは、それをほとんど取り上げないメディアや新聞もあり、反対に積極的に書いているところもあるということです。読売新聞は2島プラスアルファに向けて布石を打とうと、安倍さんのおじいさんに当たる当時の総理がやっていたということで、これをバックアップしようという動きがあります。
一方、4島一括返還にこだわる人たちはそれをほとんど取り上げないという非常に面白い展開になったので、ここは各紙を読み比べて頂ければと思います。

過去の北方領土返還失敗の影にはアメリカの圧力

手嶋)1956年の日ソ共同宣言によって日本と当時のソ連が国交を樹立し、日本が国連に加盟して国際社会へ復帰したことになったのですが、この日ソ共同宣言で「歯舞、色丹の2島については日本へ引き渡す」、つまり、主権をそっくり渡すかどうかは別として、日本に引き渡すと書いているわけですね。両国が批准しましたから、当然のことながら実施して良いはずなのですが、結局引き渡されませんでしたよね。なぜかと言うと、当時ダレス国務長官という冷戦の代表的な戦士が水面下に割って入って、日本政府に対してかなりの圧力をかけて、「引き渡しはまかりならない」。どうしてなのかと思う方がいるかもしれませんが、歯舞群島と色丹島が日本に引き渡されると、当時の日ソ関係がぐんと良くなりますよね。その結果として西側同盟の極東の要石であった日本が、モスクワに寄ることを阻む、つまり国境に領土問題を残しておくということが、モスクワと東京が接近することを防ぐための布石だったということです。
よくこれをセル・ダレス(いまの日本をなお走らせる)と言うのですけれど、冷戦はもう終わったわけですから、いまの日露間の喉元に突き刺さった領土問題、全部かどうかは別にして、これを抜くべきなのかどうかです。政府や外交当局の決断ではなくて、日本国民がどう考えるのか。国際情勢は刻々と変わっています。中露はいま接近をしている。その中国の大きな風圧が、日本列島に来ているということになりますから、それに楔を打つことになるかもしれない。さて、このコーナーを聴いているリスナーの方はどちらを選ぶのか。まさに皆さんの決断だと思います。

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