「絶対、このままでは終わられないと思った。」ヤクルト・由規投手(26) スポーツ人間模様

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写真提供:産経新聞社

球速160キロといえば、今や日本ハム・大谷の代名詞。

しかし元祖160キロといえば、プロ3年目の2010年8月26日の横浜戦で日本人最速の161キロを記録したヤクルトの由規です。
「あの1球だけでした。大谷クンが断然すごいですよ。」
きのうの中日戦では、連敗ストッパーとしてマウンドに上がったものの4回福田の一発に泣きました。
しかし登板するたびに、次は?とファンへ期待を抱かせる由規は稀有な存在。

仙台育英高時代の2007年、高校生ドラフトでは5球団が1巡目指名で競合し、ヤクルトが交渉権を獲得して入団。
はっきりしているのは、もしヤクルトでなければ、おそらく今はユニホームを着ていなかったかもしれない。
小川前監督がいつも気にしていました。
昨年オフはブランクが長くさすがに育成契約となりましたが、今年7月に復活。

右肩に違和感を覚えたのは2011年9月。
いくつもの病院で診断を受け、気功や、あげくは日光東照宮でお払いも受けました。
そして判明したのが右肩腱板損傷、ソフトバンクの松坂と同じ症状でした。
その痛みは表現ができないほどだそうで、たとえば、飛行機に乗ると気圧が変化して右肩だけに引き裂かれそうな激痛が走る。
電車、バスなどでも、窓際にいただけで、急に右肩が痛くなるなど、想像以上の難病でした。
「右腕がうまく使えないから、シャンプーすることにも苦労しました。」

いくら大好きな野球でも、投げられないことは本当につらい。
テレビ中継でヤクルト戦をみているとスタンドには自分、由規のレプリカユニホームを着ている子どもたちが、また、2軍でリハビリ中の由規を応援に来てくれる子どもたちがたくさんいた。
「絶対、このままでは終わられないと思った。160キロのスピードボールは、2度と投げられないかもしれないけど…。」

そして、高校時代に覚えた変化球を思い出し、平均145キロで抑える投手へ変身を遂げました。

振り返れば2011年は人生の分岐点。
3月11日の東日本大震災当日は仙台の家族の安否を確認するのに携帯電話が全く繋がらないので、横浜スタジアムの記者席の固定電話を借用してとりあえず、家族の無事を確認しましたが、後に、高校時代にバッテリーを組んでいた斎藤泉さんが返らぬ人になったことを知りました。
遺体が発見された4月27日、由規は巨人戦で勝ち投手になり、ウイニングボールへ「一生最高バッテリー」と記し、石巻市内へ足を運んでいます。

性格の良さから、誰もが応援したくなるプロ野球選手。
担当記者からの信頼も抜群です。
ちなみに、復帰のめどが立った際、球団からは抑え転向の打診もあったとか。
「申し訳ありません。できません。先発で行かせてください。」
と強い意志をみせたそうです。

次回登板に、期待しましょう。

8月24日(水) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」