110年前に駅弁屋としてスタートした崎陽軒 現場の原点はご飯を炊く仕事

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「飯田浩司のOK! Cozy up!」(12月12日放送)にて、崎陽軒の野並直文社長を迎え、激動の平成について聞いた。

 

シウマイ弁当(崎陽軒 – Wikipediaより)

平成元年に開催された「横浜博覧会」

飯田)今朝は、崎陽軒の野並直文社長をお招きいたしました。よろしくお願いします。

野並)よろしくお願いします。

飯田)平成が終わろうとしています。まずこの特集で皆さんに伺っているのが、「平成元年に何をされていたか?」というところなのですが。

野並)ちょうど平成元年の横浜では、横浜博覧会という、地方博の一種ですが万博に近いような、かなり大きい博覧会。これが現在の、みなとみらいの場所で開催されていました。
埋め立てが終わって、まだ原っぱのような状態だったので、そこで大きな企業さんがパビリオン(展示館)を建てたりとか、なかでリニアモーターカーが走ったりとか。あるいは東口からケーブルカーでゴンドラが会場まで移動したりとか、そんなことが横浜で開催されていました。
全部で約1,300万人でしたか、それだけのお客様が来たということで、大変忙しい年でした。


博覧会で経験した、商売の難しさ

飯田)懐かしいですね。僕は確か小学1年生だったのですが、連れて行かれた覚えがあります。近未来的なパビリオンがいっぱいあって、興奮したのを覚えています。
ではそのときに、社長は現場にいらっしゃった?

野並)ええ。現場の、営業の最前線にいましたので。当時、弁当協議会のようなものを他の駅弁屋さんと一緒に作りまして、来場されるお客様に共同でお弁当の販売をしたりしていました。
ちょうど連休に入った5月3日、ものすごい数のお客様が入って、そのときはお弁当が足りなくなってしまって。飲食店も長蛇の列で、「食べ物が何もないじゃないか!」というようなことになったのですね。

飯田)なるほど。

野並)それで、5月5日。ちょうどこの博覧会のテーマが『宇宙と子供たち』だったものですから、「こどもの日にはもっとお客様が来るだろう」ということで、各社のお弁当屋さんがたくさん作って持って来たのですよ。

飯田)総力を上げて、という感じですか。

野並)そうしたら、逆にお客様が減っちゃった。何でか分からないけれども、みんな準備万端整えて、お弁当を山と積んで待っていたのに。

飯田)やっぱり、商売というものは難しい…。


社長自らオタマジャクシを運んだ「ピクニックガーデン」

野並)難しいですね。それからもう1つ、「パビリオンは無理だったとしても、何か協力しよう」と、ピクニックガーデンという、ちょっとした広場…真ん中に十数メートルの池をつくって、その周りに芝生を植えたりして、その広場で子どもたちに遊んでもらおうというピクニックガーデンを提供させてもらったのです。
春になって、ちょうどオタマジャクシが産まれたので、近所の池に行ってオタマジャクシをバケツいっぱいとって来て。

飯田)自らとって来てですか?

野並)自分でとって来ました。それをピクニックガーデンの真ん中にある、丸い池に放したのですよ。そうしたら子どもたちが喜んじゃって、ちょうど子供の膝くらいしかない浅い池だったので、みんな靴を脱いで、紙コップなどでオタマジャクシをすくってね。

飯田)金魚すくいではなく、オタマジャクシすくい(笑)。

野並)みんな喜んでいたという、楽しい思い出もありましたね。


「平成3年に社長になったこと」がいちばんのトピック

飯田)当時の立場としては、まだ社長ではなかったわけですか?

野並)はい。まだ社長ではなく、専務でした。

飯田)では、営業の陣頭指揮を執られていた?

野並)実務はすべてやっていましたのでね。

飯田)野並社長は崎陽軒の3代目としてお生まれになって。いろいろなインタビューを読ませていただくと、生まれたときからある意味、この立場というものを意識させられ続けたと。

野並)一時は長嶋茂雄さんに憧れて、子供心に「プロ野球の選手になりたい」と言ったら、親父から「余計なことを考えるんじゃない」と言われて(笑)。とにかく脱線しないように、脱線しないように育てられた感じでしたね。

飯田)でも崎陽軒に入られてからは、それこそ現場のお弁当を作ることなども経験されたそうですね?

野並)基本的に、崎陽軒はもともと110年前に駅弁屋としてスタートしたものですから、何と言っても弁当が営業の基本なのですね。ですから、お弁当はやっぱりご飯なのですよ。おかずがどれだけ美味しくても、ご飯が美味しくないとダメだということで、最初の仕事はご飯を炊く、「シャリ屋」と当時は言っていましたが。ご飯を炊く仕事が、私の会社に入って最初の仕事でした。

飯田)そうなのですか。そこからやらせる、ということなのですね。

野並)やっぱり現場を持っている会社は、現場がいちばん大事ですのでね。現場の原点中の原点は何かと言ったら、ご飯を炊く仕事だったわけですよね。

飯田)平成元年は専務で迎えられて、その後、平成3年に社長になられたのですか?

野並)そうです。この「平成3年に社長になったこと」が、私の平成時代のいちばん大きなトピックだったのかもしれませんね。

飯田浩司のOK! Cozy up!
FM93AM1242ニッポン放送 月-金 6:00-8:00

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