リオパラリンピックは自己ベストを出してメダルを獲得したいと思います。【山田拓郎(パラ水泳日本代表)インタビュー】

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【ニッポンチャレンジドアスリート】
このコーナーは毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを伺います。

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山田拓郎(やまだ・たくろう)
1991年兵庫県出身の25歳。生まれつき、左ヒジから先がない状態で3歳から水泳を始め、2004年、日本パラリンピック史上最年少の13歳でアテネ大会に出場。以後、北京・ロンドンに続き、リオ大会でも4度目の代表に選ばれた。
リオでは男子50メートル、100メートル自由形で出場。初のメダル獲得を目指す。


―山田が水泳を始めたのは3歳だった。

山田 水が苦手だったみたいで、それを見て心配した両親が、何かあった時に自分を守れるくらいの泳力はあったほうがいいということで、近くのスイミングスクールに通わせたということは聞いています。

―そんな山田が本格的な競泳をやってみようと思ったきっかけとは?
山田 2000年のシドニーのオリンピック・パラリンピックがあった時に当時所属していた障がい者水泳チームの先輩が金メダルを獲りました。帰国して見せていただいて、とても輝いて見えました。そのような大会があるということを初めて知り、自分でもメダルを獲りたいと思ったのがきっかけです。

―生まれつき、左ヒジから先がない山田。山田自身が考える自分の一番の武器とは?
山田 生まれつきの障がいなので、そこまで意識したことはないのですが、左右で違いがあり、アンバランスな状況でも自分の体をコントロールできるバランス感覚は得意なところです。スタートやターンというような細かいテクニックは苦手なのですが、泳ぎの部分で出るスピード、泳速に関しては世界のトップ選手と比べても高い数値が出すことができると思います。

―4度目となるリオ大会で初のメダル獲得を目指す。アテネパラリンピックで日本史上最年少の13歳で代表に選ばれた山田。選ばれた時の心境は?
山田 行ってみるまでは、どんな大会なのかイメージできていませんでした。実際行ってみると、会場のお客さんや選手の雰囲気など、ほかの大会とは違った独特の雰囲気があるなと感じました。

―北京パラリンピックでは5種目中、4種目で入賞と健闘した山田。だが、メダルにはあと一歩手が届かなかった。
山田 北京の前の年、2007年あたりにオーバーワークで肩を痛めてしまいました。1か月近く泳ぐことができず、トレーニングとしては順調に行っていなかったこともあり、パラリンピックで結果を残すということの難しさを改めて実感しました。。

―北京大会後、筑波大学に進学した山田。体育会の水泳部に入り、健常者の選手と同じ環境で練習する道を選んだ。
山田 環境を変えて健常の世界でもトップの選手の中で切磋琢磨しながら成長できればいいなと思い、大学に進学しました。

―大学時代に学んだことで特に印象深かったことは?
山田 1年目、がむしゃらにやってみて、普通に他の部員と同じように練習をしているだけでは、記録は伸びないということを実感しました。その中で、具体的には練習量を少し落として強度を高めるということで持久力の低下をカバーしつつ、スピードを出していくというところにフォーカスしてトレーニングをするという方針に変えました。

―事前の調整に苦しむ中、山田はロンドンで3種目に出場。50メートル自由形では日本記録となる26秒22の好タイムで4位入賞を果たした。
山田 結果的には50メートル自由形で予選も決勝も自己ベストを更新することができて、4位までは行けました。ようやくチームの中でどのようにトレーニングを積んでいけば自分のパフォーマンスが上がるのかということをなんとなくわかって来たという段階だったので、次の大会に向けて頑張っていこうという気持ちでした。当然決勝では25秒台を目指してはいましたけど、できませんでした。

―まだ25歳で4度目の出場となるリオ大会。具体的な目標とは?
山田 自由形の2種目、50メートルと100メートルで自己ベスト、50メートルでは25秒台、100メートルでは56秒台を出してメダルを獲得したいと思います。

―筑波大学を卒業後、2014年春からNTTドコモに就職した山田。入社を決めた理由は?
山田 働きながら、競技を続けたいと思って就職活動をしている中で、仕事に対する思いだけではなく、競技に関しても理解を示してくださったので、NTTドコモに入社することにしました。

―競技だけに専念する選手も多い中、山田はあえて、仕事をしながら競技もすることにこだわった。
山田 現役として競技を続けられる期間というのは人生の中でも短い期間になりますし、そこがすべてとなってしまったらその後の人生も見えてこないという思いがありました。水泳だけしているととても狭い世界で物事を見てしまうので、スポーツとはまったく関係のないいろいろな方と関わりのある中で競技を続けていることで自分のパフォーマンスにもプラスになることがあるのではないかなという思いもあります。

―リオパラリンピック開幕まであと僅か。調整は順調に進んでいるのか?
山田 ランキングでも上位につけていますし、海外の選手と比べて、自分の伸びしろは大きいと感じています。大会前としてはいい記録で泳げているので今回は過去3大会と比べても一番自信を持って臨める大会だと思います。

―パラリンピックは4度目だが、まだ25歳。年齢以上に様々な経験を積んできた山田。スイマーとして今後の夢は?
山田 今年のリオと4年後には東京のパラリンピックもありますので、そこまでは現役の選手でいたいと思っています。競技をいつ引退するかはわかりませんが、引退した後はパラの世界では特殊な道を歩んできたと思うので、その経験を活かして、若い選手の育成に貢献できたらと思います。

(2016年8月15日~8月19日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

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