大人のMusic Calendar

本日12月10日は荻野目洋子の誕生日~再ブレイクは偶然ではなく必然だった!

【大人のMusic Calendar】

荻野目洋子にとって、2017年は激動の1年だった。「日本高校ダンス部選手権」で準優勝した大阪府立登美丘高校ダンス部が“バブリーダンス”を披露したことをきっかけに、使用曲「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」とともに大きな注目を浴びたからだ。同曲は85年11月に7インチシングル(ドーナツ盤)として発売された作品だが、90年代後半より東海地区の盆踊りで人気を集め、近年は全国各地にも定番曲として普及。もともと人気が高く、テレビで歌唱するたびに配信チャートの上位にランキングされていたが、同校ダンス部の「バブリーダンス動画」(18年11月現在で7,100万回再生)が公開されると、17年10月にはビルボード・ジャパン・チャートで総合2位をマークするなど、発売から32年を経て爆発的なリバイバルヒットを記録した。歌う本人は「(バブリーダンスの元ネタとなった)平野ノラさんと登美丘高校の皆さんのおかげです」とコメントし、各メディアは「奇跡の再ブレイク」と書き立てたが、10年ほど前より折に触れて取材をしてきた筆者にとっては、必然のように思えた復活劇であった。本稿ではそう考える理由について述べてみたい。

「オギノメちゃん」の愛称で親しまれる荻野目洋子は1968年12月10日、千葉県柏市に生まれ、本日50歳の誕生日を迎えた。姉2人、兄1人の4人兄弟の末っ子(三女)で、次姉が女優の荻野目慶子であるが、ごく一般的なサラリーマン家庭だったという。小さい頃から歌好きだった彼女は、小学4年のときに『ちびっこ歌まねベストテン』(東京12チャンネル/現テレビ東京)に出場したところをスカウトされ、同じ番組に出演していた2人と小学生ユニット「ミルク」を結成。79年4月に「ザ・あれからいちねん」、80年8月に「リトル・キッス」…と2枚のシングルをリリースするが、「今からこの世界に浸かってしまうと勘違いしてしまう」と考え、学業に専念することを決意する。11歳の夏のことだが、このとき「またやりたくなったら、電話しておいで」と声をかけたのが、現在も所属する事務所の社長であった。中学では卓球部に所属し、日々練習に打ち込んでいた荻野目が再び芸能界に目を向けたのは中2のとき。歌への思いを断ち難く『スター誕生!』(日本テレビ系)に応募するが、落選したことで発奮し、自ら社長に連絡を入れて、歌やダンスのレッスンを開始する。一方、同時期に応募していたキティ・フィルム製作の映画『ションベン・ライダー』のオーディションでは次点となり、それがきっかけで、同じキティ・フィルム製作のテレビアニメ『みゆき』(フジテレビ系/83~84年)のヒロイン・若松みゆき役の声優に抜擢され、芸能活動の再スタートを切る。


念願だったソロ歌手としてのデビューは84年4月、高校進学直後のタイミングだった。畳みかけるような前サビが印象的なデビュー曲「未来航海-Sailing-」はオリコン32位まで上昇する、まずまずのヒットを記録。しかし、そこから1年半ほどは伸び悩み、苦戦を強いられることになる。というのも、当時は80年代アイドルブームの真っ只中。歌謡界は松田聖子、中森明菜を筆頭に人気女性歌手が覇を競い、同期でも菊池桃子、岡田有希子、長山洋子など、有力新人が同じ月にデビューしていた。歌唱力には秀でていた荻野目だが、群雄割拠のアイドルシーンで居場所を確保するのは至難の業だったのである。当の本人は、この時期に「決して諦めない情熱が育まれた」と述懐しているが、そんな荻野目に転機をもたらしたのが、前出の「ダンシング・ヒーロー」であった。7枚目のシングルとしてリリースされたこの曲は、英国の歌手、アンジー・ゴールドがヒットさせた「Eat You Up(邦題:素敵なハイエナジー・ボーイ)」の日本語カバー。のちに「ユーロビート」という呼称で括られる、打ち込みを多用したディスコチューンで、それまでメロディアスなポップスを歌ってきた彼女にとってはイメージチェンジといえるものだったが、結果的には自身初のトップ10入り(オリコン最高5位)を果たす出世作となる。このブレイクで、歌謡界に空前の「ユーロビートの日本語カバーブーム」を巻き起こした荻野目洋子は、その後もダンスビート路線でヒットを連発。87年には前年にリリースしたアルバム『NON-STOPPER』が「LP+CD+カセット」の総売上で年間1位に輝くなど、アルバムも売れる実力派アイドルとしての地位を確立する。




89年には、グラミー賞最優秀プロデューサー賞を獲得した直後のナラダ・マイケル・ウォルデンのプロデュースによるアルバム『VERGE OF LOVE』でブラックコンテンポラリーに、92年にはLINDBERGやZIGGY、氷室京介らを手がけていた月光恵亮がプロデュースしたアルバム『流行歌手』でクラブ系ダンスサウンドに挑戦するなど、着実にキャリアを積んでいた荻野目だが、2001年に高校時代の同級生で、プロテニス選手の辻野隆三と結婚。2006年までに3人の子供を授かり、しばらく音楽活動から遠ざかることになる。当時は引退も覚悟していたというが、2006年に洋楽をボサノバ調にアレンジしたカバーアルバム『VOICE NOVA』を、2009年に男性シンガーソングライターの作品をカバーしたアルバム『Songs & Voice』を発表。育児を優先しながらも徐々に活動を再開していく。筆者が初めて取材をしたのはこの時期であるが、「しばらく一線から引いたことで、純粋な気持ちで音楽に向き合えるようになった」、「今はとにかく歌うことが楽しくて、どんなジャンルの歌でも肩の力を抜いて歌える気がする」、「早くライブをやって、皆さんに会いたい」と意欲的に語る姿が印象的であった。その後しばらくは、テレビの歌番組やイベントで代表曲「ダンシング・ヒーロー」などを披露したり、他のアーティストとのコラボ企画に参加したりしていた荻野目だが、2012年に腹式トレーニングを開始。本格的な活動再開に向けて、地道な努力を重ね始める。デビュー30周年を迎えた2014年には、70~80年代の洋楽を日本語でカバーしたアルバム『ディア・ポップシンガー』をリリース。同時期に約20年ぶりとなる単独コンサートを赤坂BLITZで開催し、以前と変わらぬ、というより、むしろパワーアップしたパフォーマンスで待ちわびたファンを熱狂させた。冒頭の再ブレイクはその3年後のことである。



荻野目のこれまでの人生は「決断と実行」の連続であった。ミルクを辞めて学校生活に戻ったこと、卓球少女から再び歌手を目指したこと、不遇の時期を経て次々と新しい音楽にチャレンジしたこと、引退覚悟で家庭に入ったこと、育児と並行してトレーニングを開始したこと――。共通するのは「今の自分がやるべきことを見極めて、そのための努力を惜しまない」姿勢である。だからこそ、登美丘高校ダンス部によって脚光を浴びたとき、すぐバッターボックスに立てたのだ。準備ができていなければ、見事なボーカルとダンスで視聴者を魅了することなどできるはずもない。きっかけはバブリーダンスだったが、「ダンシング・ヒーロー」が一過性の人気に終わらず、その後、半年以上にわたってチャート入りするロングヒットになったのは、歌う彼女にそれだけの力があったからだ。天は自ら助くる者を助く。様々な経験を重ね、シンガーとしての進化を続ける荻野目洋子の再ブレイクはやはり必然だったのだ。

荻野目洋子「未来航海-Sailing-」「ダンシング・ヒーロー(Eat You Up)」『NON-STOPPER』ミルク「リトル・キッス」アンジー・ゴールド「Eat You Up(邦題:素敵なハイエナジー・ボーイ)」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】濱口英樹(はまぐち・ひでき):フリーライター、プランナー、歌謡曲愛好家。現在は隔月誌『昭和40年男』(クレタ)や月刊誌『EX大衆』(双葉社)に寄稿するかたわら、FMおだわら『午前0時の歌謡祭』(第3・第4日曜24~25時)に出演中。近著は『ヒットソングを創った男たち 歌謡曲黄金時代の仕掛人』(シンコーミュージック)、『作詞家・阿久悠の軌跡』(リットーミュージック)。

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