米ソ冷戦を終結させた大統領~パパブッシュ死去

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ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(12月3日放送)にジャーナリストの須田慎一郎が出演。先日死去したジョージ・H・W・ブッシュ元大統領について解説した。

パパブッシュ~最後の知性ある大統領

“パパブッシュ”と呼ばれていたアメリカ第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ氏が先月30日、94歳で亡くなった。ブッシュ氏は1988年に大統領に当選して、翌89年にマルタ島で当時のソ連議長だったゴルバチョフ氏と会談。米ソ対立に終止符を打った。また、91年の湾岸戦争で多国籍軍を率い、クウェートに侵攻したイラク軍を撃退している。

飯田)近年は入退院を繰り返して、4月には73年間連れ添ったバーバラ夫人が92歳で亡くなっていました。いまのところ、ブッシュ氏の死因は明らかになっていません。

須田)パパブッシュさんはアメリカにとって非常に興味深い人生を送って来た人です。もともとは東部エスタブリッシュメントのメンバーだったのです。つまり東部諸州のなかでエリートだった。父親も政治家で、上院議員でした。そこからテキサスへ転じ 、石油業で大成して、政界へ進出して行く流れでした。しかし、政治の流れで言うと東部エスタブリッシュメントと南部諸州は激しく対立して来た経緯がありました。特に戦後の大統領を見ると、南部諸州の方が多いのです。そこに1つ楔を打ち込む思惑が強くあった。だから、大統領になるべくしてなった方です。息子は「こんなヤツが大統領をやっていいの?」と思うくらいの人ですが、パパブッシュは非常に優秀でキレ者でした。しかもCIA長官をやった経歴から諜報、インテリジェンスの世界にも顔が効く人でした。そんな人が1980年代末の米ソ冷戦終結時にアメリカ大統領だった意味合いはとても大きかったと思います。

飯田)レーガン政権の副大統領から昇格、というのも珍しいですね。

須田)その意味でも冒頭で申し上げたように、大統領としてのレールが着実に敷かれていた人だと思います。

飯田)階段を1歩ずつ上って、上り詰めた人ですね。

須田)なおかつ、対応したカウンターパートナーは、ソ連のゴルバチョフさん。この2人がいたからこそ、米ソ冷戦がさほど混乱もなく終結したのだと思います。

日本に対して強面だった時代の大統領

飯田)1988~1992年まで大統領でした。日本はバブル真っ最中から崩壊するまでの時期だったため、けっこう貿易摩擦が激しいときに角をつき合わせた大統領でもありますね。

須田)その意味では、よく言われるように「バブルはなぜ日本で発生したのか」と言うと、アメリカとの為替問題が言われていますよね。円高になって、カネ余りの状況を、ある種の陰謀史観では「アメリカが演出した」とも言われています。パパブッシュの存在を考えてみると、あながち陰謀論では片づけられないかもしれません。

飯田)パパブッシュの政権下で日米構造協議とか、そういうものがあって。「牛肉やオレンジ、自動車を解放しろ!」という圧力が強く日本にかかった、あの時代ですね。

須田)日本に対してアメリカがもっとも強面だった時代の、最後の大統領だと思います。

飯田)当時は、それくらい台頭する日本に対してアメリカの警戒感はとても強かった?

須田)もちろんです。黄渦論という「日本にいいようにしてやられている。叩き潰せ」という状況でしたからね。いま問題になっているさび付いた地帯のデトロイトなどで、日本車をハンマーで叩き壊すような時代ですからね。

飯田)「現在はそれが中国に取って代わっている」と指摘する人もいますが、同盟国か否かで少し違うところがありますね。

須田)当時はまだアメリカはイケイケの状況ですが、「日本はタダ乗りしているのではないか」という声もあった。その後、双子の赤字です。アメリカは貿易赤字と経常収支赤字に悩まされるような状況になって来て、「その元凶になっているのが日本」という認識ですからね。いずれ叩かれただろうな、と思います。

飯田)1つの時代がまた終わった感じがしますね。

須田)最後の知性がある大統領だった時代な気がします。後続はパフォーマンス重視ばかりです。

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