『追い込まれて、開き直れた』ニッポン放送後藤誠一郎記者 錦織圭《リオデジャネイロ五輪・男子テニス銅メダリスト》観戦記

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8月14日、日曜日の午後、オリンピックパークのテニス第1コート。
銅メダルを獲得し、大きな日の丸を背にした男は、興奮と安堵が入り交じった誇りに満ちた表情で観客に手を振った。

錦織 銅メダル1

オリンピックは、世界的に数々の名誉を手にした男達でも、実力を出しきれないことがある、特別な場所だ。リオ五輪のテニス競技は、まさにそんな波乱の幕開けだった。
第1シード、そして世界ランク1位のセルビアのジョコビッチは、ケガのため世界ランクを141位(ランキングは全て8/15現在)に落としていたアルゼンチンのデルポトロに、まさかのストレート敗けを喫した。

日本中がテニスとして96年ぶりのメダルを期待した錦織圭は、組み合わせにも恵まれて1回戦、2回戦、3回戦と、順調に勝ち進んだ。
しかし、ここはオリンピック。続く準々決勝でそれを思い知らされることになる。

相手はフランスの世界ランク11位のモンフィス。同7位の錦織にとって、これまで2勝0敗と得意としてる相手だ。
第1セットを奪った錦織は、第2セットも危なげない立ち上がり。楽勝ムードが会場にいる日本人のファンにも漂っていた。
しかし第10ゲーム、錦織キープ間近の40-15で、イージーボールをミスでアウトにしたことで、ブレークを許し、このセットを失った。明らかに錦織の顔に動揺が浮かぶ。
ポイントの上では並んだだけだが、明らかに流れを失ってた。
第3セットはタイブレークに、もつれ込んだ。相手モンフィスはここに来るまで、自らのミスでポイントを失ったときに、腕立て伏せをして観客を笑わせるなど、プレー以外でも観客を魅了した。明らかに南米ブラジルのファンは、そんなモンフィスを応援していた。
タイブレーク立ち上がり、錦織の動きが固い。ミニブレークを2つも許し、ポイント0-4。タイブレークでは絶体絶命である。
そこから3-6と相手のマッチポイント3つ。正直、私は『終わった…』と思ってしまった。

錦織はあとでこう振り返っている。
『追い込まれて、開き直れた』

ひとつのミスも許されない中、錦織はアグレッシブに攻め続けこれをしのぐと、そのまま5ポイントを連続で奪い、みごとタイブレーク8-6で、試合を決めた。錦織は両手で顔を覆った。込み上げるものを抑えきれなかった。
振りかえれば、ここがメダルへの最大の難所であった。

錦織 21

続く準決勝では世界ランク2位、イギリスのアンディマレーには、完敗。錦織は決勝への切符を惜しくも掴むことができなかった。
この試合で前回大会の金メダリスト、マレーは一分の隙すら見せなかった。試合開始の2時間前にコートに入り、まだ観客が入場する、はるか前から汗を流していた。彼もまた、この錦織戦がメダルをとるためにいかに重要な戦いなのかを知っていたのだ。

さて準決勝で破れた錦織だが、これでは終わらないのがオリンピック。ATPのツアーとは違い、負けても銅メダルをかけた戦いが、彼には残されていた。相手はこれまで1勝9敗と大きく負け越している、スペインのラファエル・ナダル(5位)。2008年のオリンピック北京大会ではシングルスで金メダルを獲得した、彼もまた、メダルの取り方を知っている男だ。

3位決定戦は、まさに死闘激闘、意地と意地のぶつかり合いになった。第1セットは、錦織が圧倒した。サービスを含め少し固さが見えるナダルに対し、アグレッシブに攻めた錦織がセットを奪取した。
第2セット、錦織は立ち上がりから流れを引き寄せた。観客やカメラマンがポイント間で移動するという、マナーの悪さが目立つ大会も、これまでに対応をして、流れに乗れないナダルを圧倒した。第7ゲームを終わり、ゲームカウント5-2、日本の誰もが、メダルを確信したであろう。
運命の第8ゲーム、錦織のサービングフォーザマッチ。急に錦織が固くなった。会場がナダルを応援する。ミスが出る…
なす術なくここから3ゲームを落とし、並ばれてしまう。そしてタイブレークも圧倒された。

メダルまでが遠い、あまりにも遠い。4年前、ロンドン大会準々決勝で涙をのんだ錦織。悪夢が頭をよぎる。

第3セットに入る前、長いトイレブレークがあった。すでにコートに戻っていたナダルは、すぐにでも試合を始めたいのか、アップを始めた。
でも、錦織は戻ってこない。隣のスペイン人の記者が私に問いかけた。錦織はどこにいったのかと。私にもわからない。その時間の長さに、ナダルは主審の元に駆け寄り、観客はブーイングをあげた。早く戻ってこいとばかりに。

錦織は、何事もなかったかのような表情でコートに戻ってきた。ただそのときのコートは異常な空気となっていた。明らかにイライラするナダル。あの巌流島の宮本武蔵と佐々木小次郎の戦いのように、私の目に映った。
錦織は第2セットまでの流れを完全に断ち切るべく、敢えて、ゆっくりと戻ってきたのかもしれない。はからずも、ナダルは心を乱していたように思う。

メダルをかけた運命の第3セット。錦織は完全に自分を取り戻していた。ここはオリンピック、メダルをとるために、ここに来たのだと言わんばかりに、攻め続けた。その気迫が、ナダルを、そして、観客を飲み込んでいく。
第4ゲームで、ブレークすると、もはや、彼を止めることは、どんな選手でもできないように思えた。一方ナダルは、観客のマナーの悪さに、思わず、大声をあげる始末。流れは錦織に傾いた。

錦織に第2セットで見せた消極さは無くなっていた。最後まで攻め続け、ナダルを攻めて倒した。

ついに、彼が高い壁を乗り越えた時だった。コートで両手を突き上げた。そして客席にサムアップ。笑顔。日本中が、そしてリオのコートにいた多くの観客が、歓喜に沸いた瞬間だった。

錦織 ガッツポーズ1

試合後に錦織はオリンピックの戦いを振り返った。その言葉をまとめておきたいと思う。
『今は素直に嬉しい。このオリンピックにかける思いは人一倍あった。オリンピック3回目にしてチャンスがあることはわかっていた。(3位決定戦の第2セットで)勝てるチャンスを落とし、気持ちとしては難しかった。ただ、ファイナルは気持ちを切り替えて、気力をふり絞り、銅メダルをゲットできてうれしかった。
大舞台で、気持ちが揺らぎ、足が動かなくなることもあった。一番難しかったのは(トーナメントに一度負けたのに)気持ちを切り替えてプレーすること。普段ないことで苦労した。ただ、すごく良い経験ができたオリンピックだった。こういう試合を乗り越えて競り勝てたことは、大きな経験になると思う。』

錦織 試合後1

オリンピックとは何か。

今回のオリンピックはプロテニスプレーヤーにとって、ATPツアーのポイントにおいても、賞金においても、ほぼ価値のない大会でありながら、錦織圭を始めとして、多くのトッププレーヤーが参加した。セルビアのジョコビッチはこの大会を勝つべく、1年間のスケジュールを決めたとも言われている。
リオオリンピックで112年ぶりに復活したゴルフ競技においては、ジカ熱や治安の不安から相次いでトッププレーヤーが出場辞退を表明した。その事について批判をしたいわけではないが、オリンピックは個人のためだけでなく、国の威信をかけて戦う大会なのだと思う。
だからこそ、価値があるわけであるし、地球の反対側で、寝る時間を削って、皆さんも声援を送るのでしょう。そして、だからこそメダルを取るのと取らないのでは、天と地ほどの違いがあると、多くのオリンピアンが口を揃えるのだ。

私は幸運にも、メダルを首にかけた錦織圭選手に、インタビューする機会をもらうことができた。
表彰台で、嬉しさと同時に悔しさが込み上げたという錦織選手にこんな質問を投げ掛けた。

錦織 マレー21

~個人で日の丸を背負って戦った今回のオリンピックで思い返すことはありますか?~
『常に日本人として戦ってはいますけど、こうやって日本の声援だったり、日本のために戦うという機会は、オリンピックという舞台しか僕らはないので、すごく重みもありましたし、コートの上で、緊張して足が動かなくなったりもしましたが、そういうのも自分を成長させてくれる、たぶん糧となってくれるので、本当にこの場にいられることもありがたいですし、皆さんの支えがあって、きょう戦えたので、本当に感謝したいです。』
~今後、金メダルに向けてどんなステップを踏みたいと考えられますか?~
『もっともっとレベルアップして、きょうの経験も必ず次のオリンピックにいかされると思うので、より強い気持ちをもって次回ものぞめたら良いと思います。』

リオオリンピックで金メダルをとったアンディマレーは2012年の母国イギリスでのロンドンオリンピックで金メダルを取り、続く2013年の母国のメジャー、ウィンブルドンを勝って、世界のアンディマレーになった。

錦織 銅メダル31

このインタビューのあと、すぐに次の試合があるアメリカへと旅立った錦織選手。
私はあなたが、いつか4大メジャーに勝ち、2020東京オリンピックでは金メダルが取れると信じて疑いません。
そして、アンディのように、本当の意味での『世界のケイ』になる時を、今から楽しみにしています。

ニッポン放送報道部     後藤誠一郎

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