1981年の今日10月15日、柏原よしえ(芳恵)の「ハロー・グッバイ」が発売~初出はアグネス・チャンのB面曲だった

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【大人のMusic Calendar】

1981年(昭和56年)の本日10月15日は、柏原よしえ(現・芳恵)の7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」の発売日。例によって、この曲にまつわるちょっとしたお話を取りまとめて振り返ってみたいと思う。

1980年6月1日、「No.1」でデビュー。その年の新人女子アイドル・レースにおいては、松田聖子、河合奈保子を追う第3ランナー群の1人として、あまり目立たない位置にいたと言えるよしえも、81年に入ると「ガラスの夏」「めらんこりい白書」といったシングルでいよいよ先頭集団を意識し始め、決定打となったのが「ハロー・グッバイ」だった。今更持ち出してもしょうがないと思うが、この快進撃にはある種の伏線があった。この年の4月にリリースされた石川ひとみ「まちぶせ」の大ヒットである。

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78年デビュー以来、テレビでの大活躍のわりになかなかヒットに恵まれず、オリコンで41位以上に浮上することがなかったひとみのディスコグラフィーに、やっと代表作の肩書をもたらした「まちぶせ」(オリコン最高6位)。言うまでもなく、元々は76年、三木聖子のデビュー曲として、ユーミンが書き下ろした作品である。当時もそれなりにヒットはしたものの、このリバイバルにより不朽のスタンダードの座を手にしたと言っていい。
70年代にそういえばそんな娘いたねぇという、うっすらとした記憶を聴き手の心に蘇らせつつ、若いアイドルの新鮮な息吹で楽曲の新たな魅力を引き出す、言わば元祖アイドルポップ・ルネッサンス。次にその波に乗って大ヒットしたのが、柏原よしえの「ハロー・グッバイ」である。ここで、それまでに至るこの曲の歴史を振り返ってみよう。

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シングルA面としての初出は、77年3月リリースされた讃岐裕子のヴァージョン。アルバムまでリリースしながら、通好みのアイドルの域を出ることがなかった彼女だが、実はオリコン71位とそれなりの数字は残している。
さらに遡って75年、12月リリースされたアグネス・チャンの12枚目のシングル「冬の日の帰り道」のB面に収録されたヴァージョンこそが、この曲の初出に当たる。75年のアグネスは新曲を出す度に前の曲の売り上げを下回るという、言わば不遇の時期にあっただけに、スリーパーに甘んじてしまったのは仕方ないけれど、この曲のポテンシャルを信じた人が少しでもいたのは救いであった。なお、このアグネスのヴァージョンのみ、タイトル表記は「ハロー・グッドバイ」となっており、歌詞も讃岐版以降と若干異なっている。

1981年の今日10月15日、柏原よしえ(芳恵)の「ハロー・グッバイ」が発売~初出はアグネス・チャンのB面曲だった
1981年の今日10月15日、柏原よしえ(芳恵)の「ハロー・グッバイ」が発売~初出はアグネス・チャンのB面曲だった
作曲を手掛けたのは、当時アグネス、讃岐と同じワーナーでシンガーソングライターとして活動していた、小泉まさみ。当時のニューミュージック禍の中では、そのポップセンスが正当に評価されたとは言えなかったが、歌謡界からのラブコールは根強く、松本ちえこ、能勢慶子、伊藤つかさ、手塚さとみらにユニークな個性が光る作品を提供。よしえの次のシングル「恋人たちのキャフェテラス」も、恩返しのように提供しており、連続ベスト10入りヒットとなった。
樋口康雄、林哲司、実川俊晴、荒木和作、比呂公一ら、70年代中期に頭角を現し、現在再評価が進んでいるポップ・クリエイター陣の1人として、彼の存在はもっとクローズアップされてもおかしくないと思うのだが、現段階で自身名義の作品の復刻があまり進んでいないのが残念。
作詞は「神田川」で一世を風靡した喜多條忠。風景が浮かんでくるリリカルな表現はさすがと唸らされるが、「あなたは銀のスプーンで〜」の一節には特にドキッとさせられる。アグネスの初出時のタイトルを考え合わせると、「銀のスプーン」は細かいビートルズネタなのかなとニヤリとすることも。

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ともあれ、よしえヴァージョンも「まちぶせ」に続けとばかりに過去の最高順位21位を易々とクリアし、6位に達する大ブレイク作となった。その後は、「渚のシンデレラ」で早すぎた複数ジャケット商法を試みたり、ノベルティ路線のイレギュラーシングル「しあわせ音頭」で実は細野晴臣作曲による大胆な音作りに包まれたりと、清く正しきアイドル路線を歩みながら、結局はリメイク第2弾「あの場所から」(実はこちらも「カバーのカバー」だが、詳しい話は別の機会に)、谷村新司と中島みゆきがそれぞれ提供し、2大代表作となった「花梨」「春なのに」を始めとする、ちょっと背伸びしたリリカル路線に着地。その出発点となった重要なシングルが「ハロー・グッバイ」だったのである。この成功があったからこそ、翌年から正式に「柏原芳恵」へと脱皮。アイドルを超えた個性を発揮し始めたのだった。

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そして、このヒットで加速した70年代アイドルポップ・ルネッサンス路線は、怒涛の82年デビュー組快進撃に於いても次々と踏襲されていく。小泉今日子「私の16才」「素敵なラブリーボーイ」、三田寛子「色づく街」、水谷絵津子「芽ばえ」、新井薫子「わたしの彼は左きき」…。王道系のみならず、のちにジブリ歌手として大ブレイクする井上杏美(あずみ)が「ゆうべの秘密」を取り上げたり、小久保尚美が愛川みさ「誰にも云わないで」をカバーしたり…安直と片付けるのはよくない。曲がよくなきゃ、カバーなんかしてもしょうがないから。個人的には川島恵がアルバムで取り上げた大竹しのぶ「握手」に胸熱になった。

柏原よしえ「No.1」「ハロー・グッバイ」「恋人たちのキャフェテラス」「春なのに」讃岐裕子「ハロー・グッバイ」アグネス・チャン「冬の日の帰り道」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】丸芽志悟 (まるめ・しご) : 不毛な青春時代〜レコード会社勤務を経て、ネットを拠点とする「好き者」として音楽啓蒙活動を開始。『アングラ・カーニバル』『60sビート・ガールズ・コレクション』(共にテイチク)等再発CDの共同監修、ライヴ及びDJイベントの主催をFine Vacation Company名義で手がける。近年は即興演奏を軸とした自由形態バンドRacco-1000を率い活動、フルートなどを担当。初監修コンピレーションアルバム『コロムビア・ガールズ伝説』3タイトルが2017年5月に、その続編として、新たに2タイトルが10月に発売された。
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