1967年10月10日、中村晃子の「虹色の湖」が発売~“一人GS”と呼ばれる理由

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10月10日といえばかつての「体育の日」、そして「目の愛護デー」でもあるが、今から51年前の今日、1967年の10月10日は、歌手・中村晃子の代表作「虹色の湖」のシングルが発売された日であった。グループサウンズ全盛時代、その要素がふんだんに盛り込まれた曲調から、後にいわゆる“一人GS”の代表曲として認識されることになる傑作であり、中村晃子を一気にスターダムへのし上げた大ヒットとして知られる。テレビでも数々の歌番組で披露され、とどめは翌68年に初出場を果たした『第19回NHK紅白歌合戦』のステージだった。

中村晃子が芸能界入りするきっかけとなったのは、高校在学中の63年に「第2回ミス・エールフランス・コンテスト」の準ミスに入選したこと。まずは64年に松竹と契約して女優デビューを果たす。キュートなルックスからやがて主役級に抜擢されるようになり、66年には当時若手青春スターとして売り出し中だった田村正和の主演作『雨の中の二人』でヒロイン役を務めた。田村とのコンビ作では、日本初のモッズ映画として紹介された同年公開の『空いっぱいの涙』も印象深い。また、ソフト化されて現在DVDで入手可能な作品では、68年に公開された『進め!ジャガーズ 敵前上陸』がある。歌手としてブレイクしてからのこの映画でも大いにフィーチャーされ、ヒロインとしてハツラツと躍動する姿が見られる。作家・小林信彦が中原弓彦名義で脚本を手がけたことでも知られる、必見のGS映画である。

新進女優として大いに期待されていた彼女が同時に歌手の道も歩み始めたのは、オペラ歌手だった母親の影響もあったことだろう。最初のレコーディングは17歳のとき。65年10月に発売された「青い落葉/東京のイブ」がデビュー・シングルとなった。キャッチコピーは“和製ブリジット・バルドー”であった。自身のことが歌われたようなB面曲の「東京のイブ」には、当時『イヴの総て』で新進女優役を演じたアン・バクスターのイメージも託されていたかもしれない。いずれにせよ、ティーンエイジャーの頃から既に男性を翻弄するような小悪魔ぶりを発揮していたとおぼしく、以降もそれは彼女の最大の魅力として発揮されてゆく。この時点から既に横井弘と小川寛興のコンビが作詞と作曲を手がけていたが、デビュー曲「青い落葉」は残念ながら大きなヒットには至らず、歌手としてブレイクするのは少し先になる。

1967年10月10日、中村晃子の「虹色の湖」が発売~“一人GS”と呼ばれる理由
続けて出された「霧情」「私のせいじゃない」「私はマジョリーナ」もいずれも佳曲ながらヒットせず、高田弘が作曲を手がけた「あなたはどこへ」を経て、再び横井×小川コンビに戻っての6枚目「太陽に恋をして」はそれまでにない明るいポップスとなる。カップリングの「フラワー東京」には、60年代終わりのアメリカの反戦運動から派生した、ヒッピーたちによるフラワー・ムーヴメントが反映されていた。同じ頃、日本の若者たちに支持され、世を席巻したのがグループサウンズ(=GS)ブームであった。その大きな波は歌謡界の主流であった女性ポップスの世界にも拡がりを見せ、彼女たちの作品でGSの影響を色濃く受けたものも多くヒットした。もちろん男性ポップスにも該当するが、華やかさの点ではやはり女性シンガーに人気が集まったといえる。そしてその両雄となったのが、東芝の黛ジュンと、キングの中村晃子であったのだ。中村の7枚目のシングルとなった「虹色の湖」は様々なGSがチャートを賑わすなか、オリコンチャートの正式な集計が始まった68年初頭からチャートを駈け上り、4月には30万枚を突破する大ヒットを記録。これでいよいよ歌手・中村晃子の名は全国区となる。と同時にそれまでの少女っぽさが残るキュートな路線はカップリングの「夢みていたい」をもってその役目を終えることとなった。

1967年10月10日、中村晃子の「虹色の湖」が発売~“一人GS”と呼ばれる理由
1967年10月10日、中村晃子の「虹色の湖」が発売~“一人GS”と呼ばれる理由
大ヒットを受けての次の作品、「砂の十字架」でもGS調が踏襲されて期待通りのヒットに。カップリングの「愛の願い」もしっかり1人GSしており、「虹色の湖」に続いての横井×小川の作詞・作曲はもちろんのこと、森岡賢一郎のアレンジ力が大きく作用している。さらに次の「なげきの真珠」も同じ作家陣でヒットを重ね、以降も「夕陽に駆ける少年」「ローマの灯」など、歌手・中村晃子は60年代の終わりを華麗に駆け抜けたのであった。シングル以外では、68年から69年にかけて「ロック天国」や「花のサンフランシスコ」といった当時の洋楽ヒットナンバーをアルバムでカヴァーしているのも聴きもの。70年代に入ってからもコンスタントにレコードを出し続けた彼女は、73年に細川俊之との絶妙な掛け合いで知られる「あまい囁き」をヒットさせ、80年には「恋の綱わたり」のヒットで大人の女性ならではの妖艶な魅力を振り撒いた。さらに後年では、かつてテレビ映画『かわいい魔女ジニー』で培った声優としての才能が活かされ、映画『天使にラブ・ソングを…』のウーピー・ゴールドバーグの吹き替えを担当していたのが記憶に新しい。

1967年10月10日、中村晃子の「虹色の湖」が発売~“一人GS”と呼ばれる理由
1967年10月10日、中村晃子の「虹色の湖」が発売~“一人GS”と呼ばれる理由
中村晃子「青い落葉/東京のイブ」「虹色の湖」「砂の十字架」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】鈴木啓之 (すずき・ひろゆき):アーカイヴァー。テレビ番組制作会社を経て、ライター&プロデュース業。主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。FMおだわら『ラジオ歌謡選抜』(毎週日曜23時~)に出演中。
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