前・東京ヤクルト・由規投手 悩む弟を助けた兄のアドバイス

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話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。10月2日に東京ヤクルトスワローズを退団すると表明した、由規にまつわるエピソードを取り上げる。

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ヤクルト退団が決まり、取材に応じる由規=2018年10月2日、東京都港区の球団事務所 写真提供:共同通信社

10月に入り、プロ野球は「戦力外通告」が行われる時期に。昨日2日、ヤクルトが戦力外通告をした選手のなかに、由規の名前がありました。仙台育英高校時代は、3年夏の甲子園で156キロをマークして注目され、2007年、高校生ドラフトでは5球団が1巡目指名で競合。クジを引き当てたヤクルトに入団しました。

2010年には12勝を挙げ、右のエース候補に名乗りを挙げましたが、翌11年に右肩痛を発症。それからリハビリの日々が続き、12年から15年まで4シーズン、1軍登板はありませんでした。普通なら戦力外になるところですが、ピッチャーとしての高い能力だけでなく、その野球に対する姿勢、人間性も高く評価していた球団は、16年、由規を育成選手契約でチームに残したのです。

背番号は「11」から3ケタの「121」になりましたが、由規はファームで、肩に負担の掛からない「無駄のないフォーム」を模索。そのとき、アドバイスをくれたのが、3歳年上の兄・史規(ひさのり)さんでした。史規さんは東北高校出身で、控え捕手として同期・ダルビッシュの球を受け、甲子園にも出場しています。

高校時代、データ班として活躍。相手投手のフォームを分析し、クセを見つけるのが得意だった史規さんは、由規にもたびたびアドバイスを送ってきました。由規が小さい頃から、弟のボールを受け続けて来ただけに、微妙なフォームのズレもすぐにわかるのです。

由規が育成契約になった16年1月、故郷・仙台での自主トレでもパートナーを務め、投げる際の腕の位置がうまく決まらない、と悩んでいた由規に、

「お前の生命線は、体のバランス。上半身ばかりでなく、もっと下半身も意識したほうがいい」

と助言。2人で過去のフォームと現在のフォームを徹底的に見比べ、理想のフォームを追求して行きました。

兄のアドバイスのおかげもあって、この年6月に2軍戦で150キロ台をマーク。7月、再び支配下登録を勝ち取り、5年ぶりの1軍登板を果たすと、この年2勝。昨年も3勝を挙げました。今シーズンは開幕からローテーション入り、7試合に先発しましたが、6月、再び肩に違和感が……。2軍で調整を続けましたが、1勝2敗でシーズンを終え、来季の構想から外れることになりました。

球団からは、引退した場合のセレモニーや、その後、球団に残る道も打診されましたが、「ボロボロになるまでやりたい」という由規の意思は固く、球団もこれを尊重。由規は11年在籍したヤクルトを離れ、他球団での現役続行を目指すことに。

兄・史規さんは現在、地元のクラブチーム「TFUクラブ」でキャッチャーとしてプレー。働きながら、都市対抗野球出場を目指しています。兄がプレーを続けているのも、由規にとっては大きな励みになっています。新天地がどこになるかはわかりませんが、地元・仙台を本拠地とする楽天が調査を検討しているという報道もあり、今後に注目です。

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