同じ障がいの持った方に自分も頑張ろうと思っていただけるようにと、日々トレーニングに励んでいます。【駒崎茂(パラローイング日本代表)インタビュー】

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【ニッポンチャレンジドアスリート】
このコーナーは毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。

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駒崎茂(こまざき・しげる)
1962年、埼玉県川口市生まれ。53歳。
2003年、交通事故で両足を失う。リハビリで水泳を始め、全国大会で優勝するなど活躍。
2011年からボート競技も始め、2014年、仁川アジアパラ競技大会で銀メダルを獲得。
今年4月、ペアを組んだ有吉利枝選手と共にリオパラリンピック出場を決めた。

―13年前 41歳の時バイクに乗っていた時に事故に遭った駒崎。命を失ってもおかしくない大事故だった。

駒崎 相手がダンプでした。交差点で出会いがしらにぶつかり、18メートル飛ばされました。

―両足を失うという状況から、改めてスポーツをしようと思ったきっかけは?

駒崎 両足切断で、物を食べてはいけないというような病気ではないので太ってしまったのです。それで痩せようと思って水泳を始めました。ある日、障がいの持った方から大会に出てみないかと勧められてそこから大会に出ることを目標にしました。それと長男が陸上をやっていたので、自分も障がい者スポーツをやろうと思ったこともきっかけの一つです。

―両足を失ったが、自分の障がいはけして重くない。それに気付いたことで駒崎の中に新たな意欲が芽生えた。また、その頃、新たな出会いもあった。

駒崎 私の住んでいる栃木県には水泳のクラブチームがなくて、茨城にDOECというクラブがありましたのでそこに参加させていただいたのですが、そこにはパラリンピックのメダリストが二人いました。その中で練習していくうちにだんだん競技スポーツになり、その当時北京パラリンピックの前だったのでそれを目指して練習するようになりました。水の中では義足も使わずに魚のように泳ぐことができるということが嬉しくてのめり込んでいきました。

―急速な進歩を遂げた駒崎は栃木県に障がい者水泳の団体、「栃木とびうお」を結成し、会長に就任。平泳ぎでパラリンピックを目指していたが、2011年、新たな競技に出会う。それはパラローイング、障がい者向けのボート競技である。

駒崎 長野に前田大介さんという水泳で銀メダルリストの方から誘いを受けて見学に行き、はまりました。

―パラローイングは体に障がいがある選手と視覚障がいの選手が行うボート競技。種目は4人の漕ぎ手と指示を出す一人によるコックスフォア、二人で漕ぐダブルスタル、一人で漕ぐシングルスカルの3種類があり、1000メートルの直線で争う。ボートの先端がゴールラインに到達した順番で勝敗が決まる。

駒崎 私のダブルスカルの種目に関しては男女混合のペアになります。水泳と同じようにクラス分けがあり、障がいの状態に応じてクラスが決まります。

―駒崎が選んだのは二人で漕ぐダブルスカル。現在タッグを組むのは17歳年下の有吉利枝。2005年、事故で右足を失い、左足には麻痺が残ったがヨット競技を始め、去年の2月からボートに転向した選手だ。駒崎が有吉をパートナーに選んだ理由は?

駒崎 障がいに対して同じ切断という共通の部分があるのでいいのかなと思っています。船意外のところでもいろいろと話もできていますし、いいパートナーです。

―去年の2月に有吉と新コンビを組んだ駒崎。リオ行きが決まるまでの道のりはけして平たんではなかった。選考を兼ねた国際大会では結果を出せず、今年4月、イタリアに遠征、最終予選を兼ねた国際大会に出場し、リオ行きを決めた。

駒崎 イタリアの最終予選に関しては2枠ありましたので、その2枠を自力で取るべく必死で練習もしましたし、そのつもりで行きました。その時に感じたことは筋力の差です。帰って来てからは食べて筋力をつけるトレーニングを毎日しています。国際ボート連盟の推薦をいただけた時は、行けない仲間もいますのでその分、死ぬ気で練習しようという気持ちになりました。

―駒崎・有吉ペアは国内でみっちり合宿を重ねてからリオに向かう予定だ。そして、リオ本番、駒崎が出場するダブルスカルでは12チームがメダルを争う。

駒崎 ボートの競技の場合には世界12か国になりますので、予選の時に6か国・6か国2チームに分かれましてその中の1位が決勝、2位以降が敗者復活戦となります。A決勝が1位から6位までとなります。

―リオでの目標と抱負を駒崎に聞いてみた。

駒崎 A決勝、6位までに入れるように一生懸命練習しています。あとは自然に影響されるスポーツなので、決勝まで出られたら後は運を天にまかせるという気持ちでやります。

―現在53歳、8月末に誕生日を迎え、リオパラリンピックが開幕する時は54歳となる駒崎。年齢を感じさせないパワーの源は?

駒崎 家族ですね。あとは駒崎が53歳でやっているのだからと、障がいを持った人たちに自分も頑張れるというように思っていただければという思いでやっています。

―今後の目標は?

駒崎 今回、リオに選ばれましたが、私の中では通過点だと思っています。2019年には茨城に国体があり、2020年には東京にオリンピック・パラリンピック。住まいが宇都宮なのですが、2022年には栃木に国体が来ます。それが最終ゴールとなります。その時になる59歳までは現役で頑張ろうと思っています。

(2016年8月1日~8月5日放送分より)

ニッポンチャレンジドアスリート
ニッポン放送 毎週月曜~金曜 13:42~放送中
(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
番組ホームページでは、今回のインタビューの模様を音声でお聴き頂けます。

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