巨人・脇谷 FAで巨人に復帰したのは、高橋監督への師弟愛から

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「スポーツアナザーストーリー」は、今シーズン限りで引退の意向を表明した、巨人のベテラン・脇谷亮太選手のエピソードを取り上げる。

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プロ野球 巨人入団発表 FAで西武から移籍 高橋由伸監督(左)に巨人のユニフォームを着せてもらった脇谷亮太=2015年12月7日 大手町の球団事務所 写真提供:産経新聞社

勝負強いバッティングと、チームを鼓舞する前向きな姿勢で、脇役のなかでも光る存在だった脇谷。しかし、プロ13年目の今シーズンは1軍昇格の機会がなく、昨日、イースタン・リーグで巨人2軍が4連覇を決めたのを見届けて、引退の意向を表明しました。

2005年、大学・社会人ドラフト5巡目でNTT西日本から巨人に入団。2年目の07年、ペナント終盤の中日との直接対決で、朝倉から決勝2ランを放ち、この勝利がモノを言って、巨人は5年ぶりのリーグ優勝を飾りました。その後のリーグ3連覇にも、脇役として貢献。08年、西武との日本シリーズ第5戦で決勝打。09年、中日とのクライマックス・シリーズでは、代打で決勝打を放ちMVPに輝くなど、大舞台になればなるほど勝負強さを発揮するバッティングが、脇谷の魅力でした。10年には「15試合連続得点」というセ・リーグ新記録も達成しています。

また、温厚でひたむきな性格から、上の世代からは可愛がられ、下の選手には慕われました。守備では内野も外野もこなし、チームには欠かせない存在でしたが、初めて開幕スタメンに抜擢された11年、7月に右手有鉤(ゆうこう)骨を骨折。オフに右肘じん帯の再建手術も受け、翌12年は、1軍の試合に出られない育成選手契約でリハビリに専念することに。背番号は「23」から3ケタの「023」に変わりました。

脇谷はつらいリハビリ生活を乗り越え、1年で復帰。13年、再び支配下登録を勝ち取り、背番号も元の「23」に戻りましたが、このときの苦しい経験を忘れないために、家にはいつも「023」のユニフォームを飾っていたそうです。

しかし、復帰を果たした13年のオフ、脇谷は巨人を離れることに……西武から巨人へFA移籍した片岡の人的補償で、西武に移籍することになったのです。西武では巨人時代と変わらず全力でプレーし、若手のよき見本となりましたが、15年オフ、自身がFA権を取得すると、なんと巨人に復帰。入団当時「プロとは何か」を1から教えてくれた尊敬する先輩・高橋由伸が新監督に就任するというニュースが、古巣に戻る決め手になりました。

復帰の際、「言葉は必要ないんです。監督の力になりたいだけ」とコメントした脇谷。復帰1年目の一昨年8月、首位・広島との直接対決で、プロ初のサヨナラホームランを打ち、自ら「奇跡!」と叫びましたが、ホームベース上でもみくちゃにされた後、ベンチに戻ってきたときに、背後から思い切り頭を叩かれた脇谷。振り返ると、満面の笑みを浮かべた高橋監督がそこにいました。言葉はいらない「師弟愛」。10月6日、宮崎で行われるファーム選手権が、九州出身・脇谷の最後の舞台になりそうです。13年間、お疲れ様でした!

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