1971年7月26日、小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得

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1971年7月26日、小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得した。この日から12週に渡って首位を独走、遂には71年の年間セールス1位を獲得するまでに至った。

小柳ルミ子は宝塚音楽学院を首席で卒業、そのまま宝塚歌劇団には進まずに(2ヶ月だけ在籍)、渡辺プロダクションに入社する。そして渡辺プロが共同出資に参画した、新生レコード会社「ワーナー・パイオニア」の邦楽部門第1号歌手となり、71年4月25日、満を持して「わたしの城下町」で歌手デビューを飾った。

1971年7月26日、小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得

渡辺プロが小柳ルミ子に大きな期待をかけていたことは、その作家陣の起用からもわかる。作詞の安井かずみはもともとシンコー・ミュージックで「みナみカズみ」のペンネームで訳詞のアルバイトをしていたことがきっかけで、作詞家に転身。65年に伊東ゆかりの「おしゃべりな真珠」で日本レコード大賞作詞賞を受賞、主に渡辺プロの歌手を中心に作詞をてがける売れっ子であった。この当時はおしゃれ文化人として時代のトレンド・セッター的に活躍しており、今となってはこの起用は意外に思える。

作曲の平尾昌晃はロカビリー歌手として日劇ウエスタン・カーニバルなどで活躍、一世を風靡した大人気シンガーから作曲家に転向。布施明「霧の摩周湖」、じゅん&ネネ「愛するってこわい」などの大ヒットを世に放った。つまり安井かずみも平尾昌晃も、渡辺プロダクションが信頼するエース級ライターであり、さらに編曲の森岡賢一郎も加山雄三「君といつまでも」やジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」などをヒットに導いた名アレンジャーである。そして3人いずれも音楽的ベースは洋楽にあることは前述の通り。このトリオの作品による大ヒットには68年の伊東ゆかり「恋のしずく」があり、ポップス系のシンガーに、やや濡れ気味の歌謡曲を歌わせる際には絶大な効果を発揮したのだ。「わたしの城下町」の製作に関しては、「恋のしずく」の成功が念頭にあったと考えられる。

1971年7月26日、小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得

もうひとつ、「わたしの城下町」の大ヒットには大きな社会現象の影響がある。旧国鉄が70年に大阪で開催された日本万国博終了後の旅客確保対策として、個人旅行を薦める「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンを開催。またこの頃創刊された女性誌「an・an」「non-no」などで展開された小京都旅行などの特集と相まって、若い女性が日本のシックな町並みを訪れる「アンノン族」が登場する。「わたしの城下町」はまさにこの機運を後押しした大ヒットだった。なにしろ“わたし”の城下町と言うぐらいで、この曲のベースには旧き良き日本の風土を、若い女性(わたし)の目で見て体験する、そういった温故知新的な日本再発見がある。今、聴くとドメスティックな歌謡曲に思えるが、洋楽志向の作家陣が和風の叙情に向き合って作った楽曲であり、この時代のディスカバー・ジャパンやアンノン族の志向とぴったり合致する歌謡曲であったのだ。

そして、歌い手の小柳ルミ子も、宝塚音楽学院出身でモダンバレエなどにも才をもつ、本来的には洋風志向の芸能人である。その後『私はオンディーヌ』などのミュージカルで当たりを取り、『紅白歌合戦』などのステージでド派手なパフォーマンスをみせていくのだから、デビューから77年の「星の砂」あたりまで続く、「旧き良き日本の風土を題材にした叙情派歌謡の歌い手」のイメージは、彼女の本質とは真逆の指向性だったことになる。洋から次第に和へ向かう歌謡曲歌手は多いが、その逆というのは珍しい。このあたりが面白いところで、小柳ルミ子とはまさに「和魂洋才」ならぬ「洋魂和才」の人だったのだ。いや、「わたしの城下町」はまさしく安井、平尾、森岡ら「洋魂和才」の達人が集結した、1971年でないと生まれなかった大ヒット曲なのである。

1971年7月26日、小柳ルミ子のデビュー曲「わたしの城下町」がオリコン・シングル・チャートの1位を獲得

「わたしの城下町」には面白いエピソードがある。当時、文化人が集ったプール付きの高級マンション「川口アパートメント」に住んでいた安井かずみは、自宅の部屋でこの曲の詞を書いていた。そこに友人の加賀まりこが遊びの約束で迎えに訪れ、執筆中だった「わたしの城下町」の歌詞を見て「格子戸はくぐり抜けないわよ」と進言したが、安井は却下したという。メロディーにピタリとはまる言葉のチョイス、音できいた時のリズム、そして聴き手の脳裏に絵が浮かぶ作詞術なのだ。加賀は後に「四季の草花が咲き乱れるなんて、ZUZU(安井の愛称)らしい」と述懐している。

参考文献『安井かずみがいた時代』(島崎今日子・著/集英社・刊)『とんがって本気』(加賀まりこ・著/新潮社・刊)

小柳ルミ子「わたしの城下町」「星の砂」伊東ゆかり「恋のしずく」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。
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