“西日本豪雨”を受けて その2 情報は人間の“ものさし”で決めるもの

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【報道部畑中デスクの独り言 第69回】

今回、西日本を中心に甚大な被害をもたらした豪雨は、11の府県に大雨特別警報が発表されたほか、大雨警報、土砂災害警戒情報、記録的短時間大雨情報など警戒を促す多くの情報が発信されました。

土砂災害警戒情報、これは大雨警報発表中に土砂災害の危険性が高まった場合に気象台と都道府県が共同で発表する情報です。 市町村長が避難勧告・避難指示を発令する判断や自主避難への参考とするため、私どもラジオでも頻繁にお伝えしています。

続いて記録的短時間大雨情報、これも大雨警報発表中に出されるものです。数年に1回程度しか起こらないような1時間に100ミリ前後の猛烈な雨(息苦しくなるような圧迫感のある降り方です)が観測された場合に気象台から発表される情報です。

また、気象庁が強調していたのは「危険度分布」という情報でした。警報などが発表された時に、どこで危険度が高まるかを“面的”に確認することができます。危険度を段階的に示しているのも特徴で、お住まいの地域も拡大して確認することができます。かなり有用な情報だと思います。今回は特別警報が出ていない地域でも大きな被害が出たところがあり、気象庁などはこのような多様な情報で対応していました。

危険度分布 会見

会見では「危険度分布」に関する解説も行われた

大雨警報(浸水害)の危険度分布
https://www.jma.go.jp/jp/suigaimesh/inund.html

私の故郷、岐阜県でも今回、大雨特別警報が出されましたが、思い出すのは私が小学生のころの体験です。いまから40年以上前、大雨で太ももあたりまで水が浸かる中(あくまで小学生の身長でしたが)、歩いて避難したことがあります。家族と車での移動中、エンジンが水をかぶって動かなくなってしまい、やむを得ずの行動でした。このころは情報の意味も理解しているとは言えませんでしたが、それでも「警報」と聞いただけで身構えたものです。情報のシンプルさがそのような認識を強くしたとも思います。

いまは災害対策も格段に進化し、警報に対する認識も「マヒしている」とまでは申しませんが、以前に比べて変わってきたように思います。確かに多様な情報はそれぞれが有用なものですが、こうしたきめ細かな体制は、逆に重要な情報が多くの情報の中に埋もれてしまう可能性もはらんでいます。気象庁でも今回行った一連の記者会見の中で「情報をスリム化したいという認識は持っている」と述べ、いわば「建て増し」でここまで来た情報体制について、見直しの必要性に言及しました。多様な情報は各省庁の「縦割り行政」の上での産物という指摘もあり、今後、議論となることが予想されます。

岐阜県 大雨 特別 警報 気象庁 記者 会見

岐阜県の大雨特別警報を発表する気象庁の記者会見(7月7日午後)

一方で私はこうも思います。それは情報というものは、見直すにせよ維持するにせよ、あくまでも“人間のものさし”で決めているものだということです。

例えば横浜市というとどんな街を思い浮かべますか? みなとみらいの高層ビル群ですか? 山下公園周辺ですか? 港の見える丘公園のような高台ですか? 八景島のような人工島ですか? それだけでなく、背後に山が迫る土地に建つ住宅街も多くあります。同じ自治体の中でもその表情は様々です。市町村合併によりそんな自治体は格段に増えました。

これまでお話しした通り、現在、警報や注意報などの情報は細分化され、市町村単位(東京は特別区も含む)で発表されるようになりましたが、それでも「一律の重さ」をもって情報を発信するのは不可能だと思います。つまり同じ横浜市でも住む場所、人によって、一つの情報に対する受け取り方が違うということです。天気予報では「所によって」という表現が使われますが「ゲリラ豪雨」と言われるように局地的現象が頻発するようになればそれはなおさら。かと言って際限ない細分化は情報処理能力の面からも限界があります。ラジオをはじめとするメディアも限られた時間の中でどこまで発信すべきなのか…悩みながらの日々です。

西日本 豪雨 広島 大雨 土砂 災害 女児 土砂 福山市

【西日本豪雨・広島】大雨の影響で土砂災害が発生し、女児が亡くなった広島県福山市。女児の自宅近くでは土砂の中に小さな靴が埋もれていた=2018年7月9日午前10時39分、広島県福山市 写真提供:産経新聞社

人間のものさしで決めたものに自然が対応してくれるとは限りません。“想定外”という形で自然は牙をむいてきます。むしろそのように思うことこそ、人間の「傲慢」と言えるのかもしれません。災害対策はたゆまぬ進化が必要ですが、一方で自然に対して人間はもっと謙虚でなくてはならない。ならば人間としてできることは何か…情報は情報として認識した上で、自らの“五感”を研ぎ澄ませ、危険な状況を察知するということに尽きるのではないでしょうか。雨が降ってどのような状態になると危険なのか、いつもより違う雨音を聞いたらヤバいと感じることができるか、川の水が濁ってきたら…斜面から石が転がってきたらそれは避難のサインなのか(もちろん危険な状態で様子を見に行くのは厳禁です)など…前述の幼少時代の体験では、避難の際、道路と畑の見分けがつかず、畑の中に足を突っ込みそうになったこともありました。洪水時の避難がいかに危険か、身をもって知りました。日ごろからイメージトレーニングをし、その土地土地で(あるいは自分自身の)「災害マニュアル」をカスタマイズすることが必要なのだと思います。

今回の豪雨被害に遭われた方々に改めましてお見舞い申し上げます。現在も酷暑の中、懸命の救助・復旧活動が行われています。1日も早く通常の生活に戻ることをお祈りしています。

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