1983年7月6日、ユーミンが11年目にして初の武道館公演

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1983年7月6日、松任谷由実が初の日本武道館公演を行った。この日はアルバム『REINCARNATION』の発売に連動した『REINCARNATION』ツアーの初日でもある。このコンサートは、その後ユーミンが行っていくショーアップされた大規模コンサートの先駆けであるのみならず、日本のライブ史におけるエポックなショーであった。

ユーミンはデビュー11年目、ファースト・アルバム『ひこうき雲』から数えても10年と、既にビッグ・アーティストであったが、意外にもこれが初の武道館公演である。キャリアから言えばやや遅いぐらいであるが、「満を持して」といったところだろうか。ただ、彼女のド派手なコンサート・スタイルは既に定着していて、そのきっかけとなった79年の『オリーブ』ツアーではステージ上に象を登場させ、79~80年の『マジカル・パンプキン』ツアーではフライング、80年の『ブラウンズホテル』ツアーではエレベーターを設置するなど、具象的で凝った仕掛けのライブを次々に行っていた。80~81年の『サーフ&スノー』ツアーでは噴水を使っているが、これなど地方の公会堂レベルにも噴水を持ち込むという画期的なものであった。こういった奇抜な発想は、現在は作家として活躍する伊集院静の演出によるもので、81年の『昨晩お会いしましょう』ツアーからは、広告畑で活躍、資生堂などのCMプランニングを行っていた黒田明を起用し、曲に合わせてステージの床が点滅する床照明を持ち込んだ演出が始まった。その黒田演出の3回目のステージが、この『REINCARNATION』ツアーであった。

このステージが画期的だったのは、ステージの天井に照明装置を組まず、背面に組まれたイントレの上に照明と操作スタッフを配して、曲の進行にあわせてライトを操作し、曲の決め部分でピタリとピンスポットをユーミンに当てるなど、光線の筋そのものを演出の1つとして見せたことである。要は、まだ当時の日本では扱うことが難しかったバリライトと同じような仕組みのライティングを行ったわけで、いわば人力バリライト。照明を担当した林光政は、舞台効果の1つに過ぎなかった照明を、アートの域にまで高めたと言われるライティング・デザイナーだが、その彼が最も印象深い仕事の1つとしてこの武道館公演を挙げている。光の効果によってステージ演出の可能性を大きく広げたコンサートであったのだ。
さらに、床照明も床面をマス目に区切り光らせ、曲に合わせてカセットデッキのピークメーターのように動かしたり、自在にライティングを変化させるものであった。その後、ユーミンのステージチームは床照明や階段照明をコンピュータと同期させる「マディーロッキー・シンクロシステム」を独自に開発する。こういった床照明の効果的な演出は、その後テレビの歌番組でも頻繁に使われるようになった。

そして、武道館2階席の壁にもレーザー装置を配し、クモの巣状にレーザーが張り巡らせ、オープニングを飾る「REINCARNATION」と続く「オールマイティー」ではハイスピードでレーザーを発射し縦横無尽に変化させた。この時代、出し惜しみしないレーザーの使い方に客席からはどよめきの声が上がったのである。

もう1つ、ユニークだったのは彼女のステージ衣装。オープニングではパープルのスーツにサングラスといった吉川晃司ばりの衣裳で登場し、それが次第にテニスウェアになり、最後は切れ込みの深いレオタード姿に変わった。しかも曲間の暗転を利用して1枚ずつ服を脱いでいくが、そのたびに全く違う印象の格好になってしまうため、彼女は一度もステージ袖に引っ込むことなく、次々に衣装替えを行ったのである。この衣装を担当したのは、デザイナーの菊池武夫である。

冒頭、スモークの中登場したユーミンは、アルバム『REINCARNATION』と同じ曲順で4曲歌い、4曲目「星空の誘惑」の終盤で大量のストロボが点滅する中、くるくると踊りながらナレーションが被せる演出で、観客の度肝を抜いた。続いてキーボードによる弾き語りが行われるが、ここで歌われるのは荒井由実時代の「雨のステイション」、また新曲の「ダンデライオン~遅咲きのたんぽぽ」など。しかも、今では考えられないが、最初のMCのあとに、観客からユーミンに花を渡すコーナーがあった。この日も女性ファンがずらりと列をなしており、アーティストとファンの距離が近かった時代を思わせる。

「航海日誌」の中盤からは武道館の天井に豆ランプが点滅し星空のような演出となる。また、数ステージ前から行われていたことだが、バンドのギタリストやベーシストが、「稲妻の少女」や「埠頭を渡る風」、「カンナ8号線」などの曲でユーミン本人やコーラスと一緒にステップを踏んだり行進したりといったパフォーマンスを見せたことも、この時代には珍しい風景であった。メンバーはドラムが菊池丈夫、ベースが伊藤広規、ギターに鳥山雄司と市川祥治、キーボードは武部聡志と中西康晴、コーラスに桐ヶ谷仁と平塚文子。

翌84年まで続いたこのコンサートツアーは、84年2月に武道館でのアンコール公演が3日間行われた。この際は中盤の曲が差し替わり、発売されたばかりのアルバム『VOYAGER』から「不思議な体験」が歌われた際には、レーザー光線によるピラミッドがステージ上に作られ、これまた観客の度肝を抜いた。

ユーミンのキャリアの中でも、ライブにおける大きな転換点となったのがこの武道館公演で、彼女はその後さらなる派手な仕掛けとスケールの大きなセット、人海戦術で1ツアーごとに話題を呼ぶステージを続けていく。それだけでなく、日本のコンサートがビジュアル面でも充実し、シアトリカルな「見せる」ステージへと変わっていく、大きなきっかけとなったステージでもあったのだ。

【著者】馬飼野元宏(まかいの・もとひろ):音楽ライター。月刊誌「映画秘宝」編集部に所属。主な守備範囲は歌謡曲と70~80年代邦楽全般。監修書に『日本のフォーク完全読本』、『昭和歌謡ポップス・アルバム・ガイド1959-1979』ほか共著多数。近著に『昭和歌謡職業作曲家ガイド』(シンコーミュージック)、構成を担当した『ヒット曲の料理人 編曲家・萩田光雄の時代』(リットー・ミュージック)がある。
1983年7月6日、ユーミンが11年目にして初の武道館公演

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