1982年7月5日、松任谷由実の『PEARL PIERCE』がオリコン・アルバム・チャートの1位を獲得

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1982年7月5日は松任谷由実の『PEARL PIERCE』がオリコンのアルバム・チャートの1位を獲得した日である。

1982年5月10日から12日まで、後楽園球場でサイモン&ガーファンクルの再結成コンサートが行なわれた。まだ東京ドームではなく、屋外の球場だったころである。

アルバム『PEARL PIERCE』を制作中のユーミンは、録音の合間を縫って、彼らのコンサートに出かけた。レコーディングは仕上げにさしかかっていたが、彼女はアルバムの冒頭を飾ることになる曲の歌詞ができずに苦労していた。

しかし後楽園球場に隣接する夕闇の遊園地の輝きを目にしたとき、彼女の中にひらめくものがあった。そして生まれたのが、夜風が涼しくなる頃は、からはじまる「ようこそ輝く時間へ」だった。

スピード感のあるブラス。繊細なリズム・ギター。ゴージャスなストリングス。よく跳ねるベース。鋭いドラムと打楽器のリズム。踊り出したくなるような洗練されたビートが主人公の心のときめきを軽快に彩る。この曲を聴くたびに、安西水丸の画集のようなアナログ・サイズの豪華な歌詞ブックレットを眺めながらアルバムを聴いた思い出がよみがえってくる。

『PEARL PIERCE』は都会のソウル/R&B的なグルーヴの演奏が多いアルバムで、2曲目の「真珠のピアス」も洗練されたファンキーな編曲だ。冒頭のリズム・ギターのカッティングからフェイド・アウトのコーラスまで実に緻密に作られている。

この曲のヒロインは、恋が破局を迎えたとき、恋人の部屋のベッドの下に真珠のピアスの片方を残して去って行く。恋人が新しい彼女と引っ越すとき、気がつくように……。まるでドラマを見ているように展開するこの曲を聴いたら、もてる男性はもちろん、もてない男性でさえ、震撼せずにはいられないだろう。

このヒロインは感情に溺れないで、別れのせつなさを断ち切る。ユーミンのクールでドライな歌声がヒロインの行動にこめられた意地を際立たせる。一緒に住もうと語り合った部屋の広告で紙飛行機を作って飛ばす描写にいたってはもうお見事、参りましたと言うしかない。

この歌にかぎらず、歌詞の面から見れば、『PEARL PIERCE』は10の短編からなる小説集のような作品だ。曲それぞれに恋する女性の主人公が登場する。ようやく幸せにめぐり会う晩熟な「フォーカス」のヒロイン。別れた恋人との再会を想像するが踏みとどまる「昔の彼に会うのなら」のヒロイン。別の相手がいると知りながら好きになってしまった「忘れないでね」のヒロイン。小さな町で恋人と別れて暮らさなければならない「DANG DANG」のヒロイン……。

「夕涼み」も忘れ難い曲だ。アルバム発表時の取材でユーミンはこう語っていた。この曲は、暮れなずむ夏の海で、ヨットが帆をたたんで、ゆらゆら揺れる情景を想い浮かべて作曲した。しかしアレンジが出来上がったら、季節は同じ夏の夕暮れでも、街っぽい感覚のイメージがわいてきた。それで歌詞はガレージで水まきしている光景からはじめることにした……要約するとそんな話だった。プロデューサーの松任谷正隆と彼女が阿吽の呼吸で作品を仕上げていくプロセスの精度が伝わってくるようなエピソードである。

ちょっと毛色がちがうヒロインは「私のロンサム・タウン」に登場するミュージシャンだ。果てしなく続くツアー中の彼女はホテルの窓から北国の港町の少し淋しそうな朝の光景を眺めている。フィクションが多いラブ・ソングの合間に、アーティストとしてのユーミンの気持ちを投影したこの歌がさりげなく置かれることで、アルバムが引き締まる。そんなところも『PEARL PIERCE』が名作と呼ばれている理由のひとつだと思う。

【著者】北中正和(きたなか・まさかず):音楽評論家。東京音楽大学講師。「ニューミュージック・マガジン」の編集者を経て、世界各地のポピュラー音楽の紹介、評論活動を行っている。著書に『増補・にほんのうた』『Jポップを創ったアルバム』『毎日ワールド・ミュージック』『ロック史』など。
1982年7月5日、松任谷由実の『PEARL PIERCE』がオリコン・アルバム・チャートの1位を獲得

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