本日はザ・ゴールデン・カップスの“伝説のギタリスト”エディ潘の誕生日

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【大人のMusic Calendar】

エディ潘(本名、潘広源、エディは洗礼名エドワードより、愛称はコウちゃん)は、1947年6月22日、中華料理のシェフとして著名だった父親(中国広東省出身で横浜・中華街の料理店、”鴻昌”のオーナー)と神戸で生まれ育った中国人女性の長男として横浜で誕生している。お店の隣が戦後、米軍の将校クラブとして接収され毎晩のように開かれたダンス・パ-ティーから聴こえてくるグレン・ミラーやベニー・グッドマンのジャズ・ナンバ-を子守歌代わりに育ったという。偶然ながら関東学院中学で教わった教師がギターの名手だったことから、自然にギターを手にするようになっていた。小学校はアメリカン・スクール(セント・ジョセフ校)に通ったことで英語が堪能だったので、’64年の東京オリンピックで通訳ボランティアを経験している。この時、五輪イベントの一環として開催された音楽イベント”世界サーフィン・パレード”にも通訳として参加、来日していたリヴァプール・ビートルズ(リヴァプール・ファイブが変名告知されていた)のメンバーから、ギターとアンプの間につなぐ、サウンド変換器を購入して自分流のエレキ・サウンドを追及するようになった。

当時横浜の小湊町にあった米軍基地内にはティーンネイジ・クラブがあってレストラン、ボーリング場の他、図書館にはオーディオ装置やレコード、楽器が揃えてあった。エディは同世代のアメリカ人と親しくなったことで基地内に自由に出入りしていた。この経験は後にドキュメンタリー映像化された映画『ワン・モア・タイム』(製作、アルタミラ・ピックチャーズ)でテ-マとして掲げられた”フェンス越しのアメリカ”として語り継がれることになる。ここで、同世代の日本人には考えられない米国の最新ヒットや流行のファッション・スタイルをエディは日々、情報として得ながら次第にギターの腕前を上げていく。この頃、基地内で米軍の将兵の子息たちで結成された、ブラインド・レモンというブルース・バンド(メンバーの一部が後にザ・リードに参加)を見て衝撃を受けていた。折しも’65年のエレキ・ブームによって誕生したTVのエレキ・コンテスト番組に出場することになり、エディは平尾時宗、小林輝雄らとファナティックスを結成している。キンクスやヤードバーズのブルース・ナンバーでエントリーするも、審査員の先生方が理解できないとの理由から急遽、ベンチャーズ・ナンバーを演奏することになった。

大学入学後、エディを待ち受けていたのは、激化していた学生運動で授業が毎日のように休講となり、ぼんやりと過ごす日々が続く。

やがて一念発起して、エディはアメリカ旅行を敢行する。米国内の各都市で様々な音楽体験の後、最後に訪れたサンフランシスコで平尾と偶然にも再会している。帰国後、平尾から新しいバンド結成の相談を受けたことを契機に、ザ・ゴ-ルデン・カップス(出演していたバー・ラウンジの名前から命名、メンバーはエディ以外、平尾時宗、ルイズルイス加部、マモル・マヌー、ケネス伊東)が誕生している。’66年、雑誌「平凡パンチ」がこの店に集うナポレオン党(当時の最新サブ・カルチャ-を追い求める若者たちの集団)を取材したことで、TBS-TV「ヤング720」のカメラが入り、彼らの演奏シーンがお茶の間に流れると日本の音楽界に衝撃を与えてゆく。プロ・デビューの誘いが各方面から殺到するが結果として、’67年「いとしのジザベル」(東芝キャピトル、CP-1005)でレコード・デビューを果たしている。デビュー・イベントも盛大に企画され、福岡県の博多にあった東洋最大のキャバレー、“フォーカス”(ホステスだけで200人以上が在籍)にメディア関係者が多数招待され開催されている。’68年4月もともとエディとケネスが書いた「This Bad Girl」(英語詞)のB面曲として計画された「長い髪の少女」が逆転し、A面曲としてリリース(東芝CP-1024)されると大ヒットを記録する。

本日はザ・ゴールデン・カップスの“伝説のギタリスト”エディ潘の誕生日
本日はザ・ゴールデン・カップスの“伝説のギタリスト”エディ潘の誕生日

その後エディのバンド脱退やメンバー・チェンジの後、'72年にはバンドとしての活動を停止している。エディは各プロジェクトでの活動を経て、80年にはアルバム『ブルー・ジェイド』(東芝EMI WTP-90151、石坂敬一プロデュース、名曲“横浜ホンキートンク・ブルース”をクリエーションをバックに収録)をリリ-スしている。2000年代になり制作された前述の『ワン・モア・タイム』では、エディたちの歴史や音楽の魅力、そして生き方に至るまで、各方面で活躍する方々から率直な証言、コメントが多数記録されていて興味深い。

本日はザ・ゴールデン・カップスの“伝説のギタリスト”エディ潘の誕生日

昨年、70歳を迎えたエディ潘の誕生日パーティー・ライブ(ドラムを担当した樋口晶之<EX.クリエ-ション>はその後急逝)では自身より近況や音楽に対する情熱が語られ、ファンからも暖かい声援を浴びている。ブルース・バンド、鬼ころしとともに演奏されたブルース・ナンバーを聴いたとき、エディが子供の頃憧れたという、ブラインド・レモンを初めて体験したような錯覚を覚えた。

ザ・ゴールデン・カップス「いとしのジザベル」「長い髪の少女」ジャケット撮影協力:鈴木啓之

【著者】佐々木雄三(ささき・ゆうぞう):佐々木雄三(ささき・ゆうぞう):1957年生まれ。大学生の時、宮治淳一氏(現ワ-ナ-・ミュ-ジック)らによるエレキのファン・サ-クル"Eleki Dynamica"に参加、レコ-ド会社に勤務しながら、機関誌やカセツト・マガジンなどの制作に携わる。レコ-ド会社退社後、『エレキ・インスト大全』刊行。また『エレキギタ-・ブック』にレギュラー出筆。現在は、小田原の曹洞宗寺院の住職を務めている。
本日はザ・ゴールデン・カップスの“伝説のギタリスト”エディ潘の誕生日

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