「長嶋監督との時間がなければまったく違った野球人生だった」 松井秀喜氏

ニッポン放送では、7月18日(月・祝)にショウアップナイター50周年特別番組を放送した。
その番組の中で松井秀喜氏がニューヨークから電話インタビューで出演、次のように述べた。

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写真提供:産経新聞社(プロ野球 巨人-阪神 松井秀喜 長嶋茂雄監督 撮影日:1998年08月28日)

松本:野球人生の中での長嶋監督との思い出は?
松井:ジャイアンツに入団して以来、つきっきりで指導していただきましたので、一緒に過ごした時間という意味でも、密度という意味でも本当に感謝しています。その時間がなければまったく違った野球人生になったと思います。

松本:その長嶋さんと同時の国民栄誉賞というのは本当に神様からの素晴らしい贈り物でしたね。
松井:私はおまけみたいなものなのですが、監督がそういう素晴らしい賞をいただけるということになったことが、私にとっては一番嬉しかったことです。

松本:振り返ればニッポン放送もずいぶん松井さんにはお世話になりました。入団当初の頃にミュージックソンに出ていただいて、趣旨と違ってしまって広報の方を怒らせてしまったこともありました。

松井:懐かしいですね。よく覚えていますね(笑)。入団会見の時ですよね。

松本:はい。九段のホテルで詰襟姿の松井さんになぜかレポーターのギャル二人がね。

松井:私、人生で初めてで最後ですね。ギャル二人に両方からほっぺにキスされたのは。それ一回だけですね(笑)

松本:その後、いろいろなことがありましたね。松井さん花火打ち上げのことは覚えていらっしゃいますか?

松井:覚えていますよ、もちろん(笑)。多摩川ですよね。

松本:松井さんがホームラン40本打ったら、最初はお台場のニッポン放送の屋上から花火を上げると勝手に放送で約束してしまったのですが。

松井:許可がおりなかった時のことですね。

松本:そうです。それで多摩川で花火を上げて松井さんの「GO」と共に河川敷で巨人優勝の翌日に花火を上げたなんてこともありました。

胡口:松井さんのヤンキース時代のイメージが鮮明に残っているのですが、ワールドチャンピオンになって、MVP貰った時のあの笑顔が忘れられないのですが、今振り返ってみてどうですか?

松井:ワールドチャンピオンになりたいという、それだけでヤンキースに入りましたので、その念願がようやく叶ったということと、たまたまワールドシリーズでいいプレーができてMVPをいただいたというプラスアルファまで付きましたので、長い道のりでしたがようやくそこで手にできたという達成感がそういう表情になったんじゃないかと思います。

胡口:松井さんのホームランは実況させていただく度に感動して心が温まったような、そんな気にさせていただきました。

松本:松井さんが日本で打ったホームランを全部つなげてCDにしたりしましたね。
松井:そうでしたね。覚えていますよ。

松本:お聞きになってうるさくて最後までは聞けないよって、言われた記憶がありますけど(笑)。
松井:あれを聞きながら、アナウンサーはどなたかなと声で判断するのがけっこうおもしろかったですよ。

深澤:実は松井さんのプロ第1号のホームラン、高津投手から打ちましたね。あれ、僕が実況したんですよ。僕は嬉しくてねえ。記念すべき1号、あれ、まだ感触覚えていますか?
松井:鮮明に覚えています。

深澤:東京ドームの右中間でしたね。
松井:どちらかというとポール際にライナーで飛んで行ったホームランでした。

深澤:あの1本から松井秀喜のホームラン人生が始まりましたね。僕もまだ目に残っていますよ。
松井:ありがとうございます。

松本:たまには素晴らしい笑顔を日本で見せていろいろな話を聞かせてください。