現役引退。元レッドソックス・岡島秀樹投手(40歳) スポーツ人間模様

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四十にして惑わず。岡島秀樹投手が出した結論は「現役引退」でした。
花道は日本時間8月12日に行われるレッドソックスvsヤンキースという伝統の1戦。
古巣のユニホームを着て、始球式へ登場する何とも粋な計らいです。
「ボストンで終わる」という自身の言葉を実現。
まだ、やれるという周囲の声もあるものの、引き際の美学を貫きました。

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写真提供:産経新聞社

昨年は横浜DeNAに所属。左ひざ裏、左太もも裏などの故障が影響して、わずか10試合に登板しただけでした。
0勝2敗と不本意な成績でオフに自由契約。
しかし、このままでは終われない、という気持ちが強く、独立リーグなどの選択肢もあった。
ただ、「もう1度、アメリカで」。
2月、オリオールズとマイナー契約を行い、最終的に目指したのは、「メジャーへ這い上がって、ボストンへ戻る」でした。

40歳といえば、マイナーリーグでは最年長。通訳などはつけない。
単身で米国に滞在して、すべてを野球に捧げました。
キャンプも順調に過ごして、オープン戦では自責点0という、これ以上はない結果を残しています。
ところが、解雇されたのは、やはり年齢が災いしたのでしょう。
「やっぱりトシか…」とさびしそうに話していたそうです。

1993年のドラフト3位で巨人へ入団。制球難が災いして素質を生かせない状況が続いていましたが、1998年、鹿取コーチの指導で一変。
2000年のONシリーズでは、20世紀最後の胴上げ投手にもなっています。
2006年開幕直前で日本ハムへトレードされ、そのオフにFA権を行使してレッドソックスへ移籍します。

三十にして立つ。ここから本当の勝負がスタートしました。
2007年は開幕戦に登板。岡島も「忘れられない」と振り返ったのは、初登板の初球をロイヤルズのジョン・バックに軽々とスタンドに運ばれたことでしょう。
メジャーでは7人目の初球被本塁打記録となって、大きなターニングポイントを迎えました。
「日本で学んだのは、迷ったらアウトロー。それを簡単に打たれた。」
ここから、独自に配球術や対戦相手のデータなどを、独自に分析するようになったそう。
セットアッパーとして首脳陣の信頼を得ていきます。
「アメリカへ行って、ラッキーでした。第一、左ピッチャーが少ない。それと、たとえばこのバッターには岡島がいいという戦略を立てて、起用してくれるのがうれしかった。日本では残念だけど、そんなことはなかったから…。」

多くの日本人選手がメジャー挑戦を繰り返していますが、日本時代より成績が良かったのは、斎藤隆、それから岡島の2人でしょう。
2007年にはワールドシリーズを制覇。

また、このシーズン、巨人のチームメート、ヤンキース・松井と初対戦が実現しました。
「こんなにコントロールがいいとはねぇ。びっくりした。感動した。」と大絶賛されたことがうれしい思い出になりました。
巨人、ソフトバンクで日本一、レッドソックスで世界を制した個性派として、ファンの記憶にバッチリ残る投手でした。

(原文)青木政司

7月19日(火) 高嶋ひでたけのあさラジ!「スポーツ人間模様」

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