「七色の音色を奏でる」唯一無比なギター・プレイで、パンク/ニューウェイヴ世代からも高評価を得たザ・ビーバーズ。 【大人のMusic Calendar】

1980年代半ばあたりから俄かに巻き起こって来た若いパンク/ニューウェイヴ世代によるGS再評価ムーヴメントは、かつての人気GSに限らず、「B・C級」と呼ばれる中堅~泡沫グループにまでスポットを当て、パンク/ニューウェイヴを聴いて育った彼らならではの新たな価値観を見い出していった。そんな動きの中で、GSブーム期の現役時代よりも音楽的に断然高い評価を得るようになったのが、ザ・ダイナマイツ、アウト・キャスト、ザ・リンド・アンド・リンダース、そしてdfsds、今から49年前の今日1967年7月20日に「初恋の丘」でレコード・デビューしたザ・ビーバーズだろう。

ビーバーズの歴史は、ファミリーズというバンドのギタリスト石間秀樹(現・秀機)と、ケイパーズ~ワゴンエース~中村ヨシオとダークホース等のバンドで歌っていたヴォーカリスト成田賢が北海道函館で出会い、ジャローズというバンドを結成したことから始まる。1966年初頭、函館に巡業でやって来たスリー・ファンキーズの前座をジャローズが務めた際に、石間と成田はスリー・ファンキーズのバックバンド「ワゴンスターズ」のドラマー淡村悠紀夫から、すでに解散が決定していたスリー・ファンキーズの早瀬雅夫と共に結成する新グループへの参加を打診された。

66年2月、函館から上京した二人に、早瀬雅男(ヴォーカル)、平井正之(ギター)、荒川宏(ベース)、リーダーの淡村悠紀夫(ドラムス)、さらにヴォーカリスト2名を加えた計8名で新グループ「ジ・アウトロウズ」が結成される。ヴォーカリストが4名という旧態依然としたロカビリー・バンド的メンバー編成でのスタートだったが、やがて早瀬と成田以外のヴォーカル2名が脱退。新時代にふさわしいビート・グループとして態勢を整え、ジャズ喫茶を中心に活動を展開していく。

そんな時期の“動く”彼らを僅かながらも観ることができるのが、66年6月に公開された園まり主演映画『逢いたくて逢いたくて』(日活/監督・江崎実生)で、大学の軽音楽部室(という設定)でインスト曲(3コードの即興曲と思われる)を演奏しているバンド役で登場する。おそらく当時彼らが所属していた第一プロダクションが渡辺プロダクションと業務提携していたことからの起用だったのだろう。何故か本編タイトル・バックでは「沢村悠紀夫とザイ・アウトロウズ」と誤記されているが…。

当時のアウトロウズの主なレパートリーは、ビートルズ、キンクス、ゾンビーズ等の作品で、当初はスリー・ファンキーズ時代からの早瀬ファンが多かったが、次第に石間の秀逸なギター・プレイが玄人筋からも話題となり、これに目を付けたスパイダースの事務所「スパイダクション」がスカウト。カーナビーツ、ジャガーズ、ゴールデン・カップス等とほぼ同時期に、事務所の先輩スパイダースの大野克夫が作曲した「初恋の丘」と「ハロー・コーヒー・ガール」のカップリング・シングルでデビューを飾るわけだが、その際“無法者たち”ではイメージが悪いということで「ビーバーズ」に改名している。

どことなくロシア民謡風の牧歌的な曲調のデビュー曲では石間のギターも控え目(全編に亘って流れてはいるが)だったが、その存在感を一気に放ったのが、その年の11月にリリースした2ndシングル「君なき世界」においてだった。ムッシュかまやつが「醐樹弦(ごきげん)」の変名で書いたこの曲で、石間はビーバーズがステージ・レパートリーとして好んで取り上げていたヤードバーズのジェフ・ベックから影響を受けたサイケデリックな「ラーガ奏法」を披露。ビーバーズの音楽的先鋭性に多大な貢献を果たした。

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「七色の音色を奏でるギタリスト」と呼ばれた石間の変幻自在なギター・プレイは、翌68年6月にリリースされたアルバム『ビバ!ビーバーズ』の中で余すところなく発揮され、特にピアノからストリングスのフレーズの音色を使い分けて完コピした「シーズ・ア・レインボウ」(ローリング・ストーンズ)のカヴァーは、GS期が生んだギター名演のひとつとして現在も高く評価されている。

1969年4月、ビーバーズはシングル5枚とアルバム1枚を残して解散してしまうが、石間のラーガ奏法は次に彼が参加するフラワー・トラヴェリン・バンドで見事に開花。世界的にも唯一無比のオリジナルなギター奏法として確立されていくのである。

【執筆者】中村俊夫

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