保護者の方たちも自分の子供がスポーツをしていることを喜んでくださる方が多い【田中愛美選手(車いすテニス)インタビュー】

ニッポンチャレンジドアスリート
このコーナーは毎回一人の障がい者アスリート、チャレンジドアスリート、および障がい者アスリートを支える方にスポットをあて、スポーツに対する取り組み、苦労、喜びなどを語ります。

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田中愛美(たなか・まなみ)
1996年熊本生まれ。中学からテニスを始めるが、高校1年の冬に事故のため車いす生活に。退院後、車いすテニスに取り組み、国内でも上位にランクイン。今年6月の「車いすテニス世界国別選手権」でも日本代表に選ばれ、健闘。2020年東京パラリンピックを目指す車いすテニス界のホープである。

―田中愛美、1996年熊本生まれの20歳。中学からテニスを始めるが、高校1年生の冬に事故に会い車いす生活に。退院と同時に車いすテニスに取り組み、国内でも上位にランキング。今年6月の「車いすテニス世界国別選手権」でも代表に選ばれ健闘を見せた。2020年東京パラリンピックを目指す車いすテニス界のホープだ。中高一貫の女子高に通っていた田中は元々テニスが大好きで硬式テニス部に入部。友達とテニスをする楽しい日々を送っていたが、高校1年の時、突然のアクシデントが田中を襲った。

田中 高校1年生の冬にマンションの階段でこけてしまって腰の骨を折ってしまい、その時に背骨を通っている神経を傷つけてしまって下肢にマヒが残り、現在も上半身は至って健康なのですが、両足にマヒが残り、歩行はあまりできません。

―4カ月の入院生活を経て高校に復学した田中はどうしてもテニス部に復帰したいと思い、車いすでも戻れないか顧問の先生に願い出た。

田中 テニスをやらなくてもいいから、テニス部に戻りたいという話を顧問の先生にした時に、テニス部に戻ってくるのであればプレーヤーとして戻ってきなさいと言ってくださったので、もう一度みんなとテニスができるようにと思い、車いすテニスを始めました。中学の時から4年近く一緒に頑張ってきた仲間たちが戻ってくるの待っているからねと言ってくれたのも励みになりました。

―先生の一言がきっかけで車いすでテニスを再開した田中、その頃の田中は車いすテニスをいう競技についてどの程度知っていたのだろうか?

田中 国枝慎吾選手がずっと世界ランク1位だったので車いすテニス自体は知ってはいたのですが、実際に試合を観たことはなく、ハの字の形の車いすを見たのもけがをして病院で始めて見ました。テニス部に戻った時はラリーをすることが好きだったので、ラリーを友達とできればいいなと思っていました。

―車いすでもテニス部に戻ってよかったと思ったことは?

田中 私は高校3年生の時、東京インターハイが一昨年開催されました。うちの学校は審判員の育成にも力を入れていて、私も中学3年生の頃から審判員の勉強をしていました。そんな中で、その東京インターハイの有明のセンターコートでベースラインの審判を個人戦の決勝でやらせていただいたのですが、審判をやるということも目標の一つであったのでとても嬉しかったです。

―いつか、この有明コロシアムのコートにまた、選手として戻ってきたい。田中の胸に新たな目標が芽生えた。高校卒業後、一般企業に就職。仕事と平行して車いすテニスの本格的に取り組み始めた田中。競技者としてプレーして行こうと決意したわけは?

田中 まず、今まで支えてくださった方たちへの恩返しをしたいという思いが大きいです。退院した直後、自分が車いすの生活になったことを受け入れられなかった時期があったのですが、そんな時に友達や先生、家族が支えてくださいました。退院して車いすテニスを始めたことで車いすの自分を徐々に受け入れることができました。パラリンピックで活躍することで、これまで支えてくださった人たちに恩返しが少しでもできたらという気持ちで始めました。

―田中はそれまでテニスという競技は健常でのプレー経験があったが、その経験は生かされていたのか?

田中 ボールを打つということは3年以上やっていたことはアドバンテージかなと思いましたね。

―逆に苦労した部分もある。

田中 ギャップがあったのが、まず動き方です。車いすを使わないといけないし、今まで足でできていたことを全部腕でやらないといけないというところが戸惑いました。チェアワーク、車いす操作に関しては、ツーバウンドまで車いすテニスの場合は大丈夫なので、いかにコートを大きく使えるかが大事なポイントになると思います。

―メキメキ実力をつけていった田中は去年、国内ランキング上位者だけが出場を許される日本マスターズに出場した。実はこの大会、田中にとっては特別に思い入れのある大会だった。

田中 全日本マスターズというのが、私が初めて国枝選手とか上地結衣選手のようなトップアスリートの方を始めて生で観た大会で、目標にしていた大会だったので、出場できたこと自体が嬉しかったですし、予選リーグを勝ち抜いて決勝トーナメントに入れたことはとてもいい経験になりました。

―憧れの舞台に出場して3位に入賞。初出場ながらいきなり結果を残せた理由を聞いてみた。

田中 緊張もしていたのですが、上地結衣選手、堂森佳南子選手、二条実穂選手と闘えるということにワクワクしていたこともあって、1ポイントでも1ゲームでも取ろうという気持ちでした。最後の方では自分らしいテニスが少しはできたので少し自信がつけられた大会になりました。

―田中には憧れでもあり、目標にしている選手がいる。二歳年上の上地結衣選手。世界4大大会でも何度も優勝を経験している女子車いすでは世界トップクラスの選手だ。

田中 上地結衣選手は私にとって目標であり、追い抜かないといけない方だと思っています。二つ上なので東京パラリンピックでも一緒にやれると思います。日本代表としてこれ以上ない仲間であり、これ以上ない最大のライバルだと思います。上地結衣選手と初めて公式戦で戦ったのは去年の全日本マスターズの少し前にアメリカの大会で戦ったのですが、その時は1ゲームも取れなかったのですが、ファーストセットからラリーもつづいたいい試合にはなったと思います。

―コート離れると上地に相談に乗ってもらったり、アドバイスを受けることもある。田中にとって上地は頼れるお姉さん的存在だ。

田中 上地選手は大学に行かずにそのままテニス一本でやられています。高校生の時、私も大学行くかそうか迷っていたので、その時、進路の相談にのっていただいたのですが、とても親身になって話を聞いていただきました。

―初出場で3位になった去年の日本マスターズ大会。準決勝で敗れた相手は上地選手だった。この時が2度目の対戦。スコアは完敗だったが田中は手ごたえを感じたと言う。

田中 本当は決勝に行きたかったのですが、それでも上地選手と準決勝で当たったのでここまでやれてよかったと思いました。今年の全日本マスターズはぜひ決勝で上地選手と戦いたいなと思います。

―今年も国内外の大会に出場している田中、もう一人、目標にしている年上のプレーヤーがいる30代のベテラン二条実穂だ。

田中 今年の3月の大会で北九州オープンに出場した時に神奈川の二条実穂選手に決勝戦で敗れました。その直後にあった台湾ライオンズカップでもベスト8に進出した後に当たった相手がまた二条選手だったんです。

―二条にもコートを離れるとかわいがってもらっている田中、参考になる部分も多い。

田中 二条選手には国内では私とプレースタイルが似ていてどちらかというとハードヒットなタイプなのでそういった部分では誰よりも勝ちたい相手ではなります。

―田中は今年5月、福岡の飯塚市で行われたジャパンオープンに出場。1回戦でチリのマルドネス選手を下し、2回戦で世界トップクラスのオランダのグリフィーン選手と対戦した。強豪と戦った感想は?

田中 無駄なミスがトップ選手になると少ないと思いました。世界のトップの選手は自分で攻めて行ってなおかつミスが少ない。自分も攻めて行きたいのですが、攻める精度を高めていかないといけないと思います。

―ジャパンオープンが終わった直後、田中は29か国が参加する世界国別選手権に日本代表の一員として出場。日の丸をつけて戦うのはこれが初めての経験だった。

田中 初めて日本代表に呼ばれて今まで憧れていたトップの選手のプレーを間近で見ることができて自分の試合の時に応援していただいた時は選手同士だからこそ、心強く思え、団体戦っていいなと思いました。

―高校時代、審判としてコートに立ち、いつか選手として戻って来たいと心に誓った有明のセンターコート。その舞台に憧れの先輩たちと一緒に日本代表として立っている。初日のタイとの試合では二条実穂と初めてダブルスを組んで戦った。

田中 二条実穂選手と組んだダブルスではトップのアスリートの動きがすごく新鮮でしたし、勉強になりました。

―日本は準決勝で敗れ、ロシアとの3位決定戦に回ったが田中はここで初戦のシングルスに抜擢された。

田中 シングルスに出させていただいたことに驚きました。天候が悪くあまりいいコンディションではなかったのですが、監督、大高コーチと考えながら試合できたのがよかったです。自分のテニスができるようになって、ラリーも続いて、スコア以上に粘ることができた試合だったと思います。

―4年後、東京にパラリンピックがやって来る。田中の目標も当然そこになる。

田中 4大大会に出場するためにはまず、世界ランキングの上位8名しか出場できないので、ランキングを最低でも8位まで上げる必要があります。当面の目標は世界ランク8位ですね。

―そのために今の課題は?

田中 自分のプレースタイルはハードヒッターなんですが、なかなか試合になるとハードヒットはミスが多くなっていくので自分で攻めて、自分でゲームを作っていくことを徹底してできるようにしなくてはいけないと思います。

―田中には競技生活を支えてくれた大好きな曲がある。

田中 阿部真央さんの「Believe in yourself」という曲があります。この曲はテニスの漫画の『ベイビー・ステップ』のオープングの曲だったのですが、試合前などによく聞く曲です。

―競技に集中するため、今年4月から田中はスポーツスクールを経営するブリジストンスポーツアリーナに転職した。

田中 元々、練習でコーチもいて、レッスンを受けていた場所で高校卒業してから1年間別の会社に所属していたのですが、本格的にテニスをやっていくための、練習や、競技に集中できる環境がブリジストンスポーツアリーナだったので転職させていただきました。スポーツスクールをやっている会社なのでテニススクールに私がいて、フロントで受付をやらせていただいています。テニススクールの会員さんも応援してくださっていただけてありがたいです。

―田中は車いすテニスの普及活動にも熱心に参加している。

田中 障がいを持った子供たちがスポーツをやるということは、子供たちも楽しそうだし、保護者の方たちも自分の子供がスポーツをしていることを喜んでくださる方が多く、生き生きと動く子供を見ている大人たちも楽しそうにしているのでジュニアの体験会は私も楽しみにしています。

―そんな田中の将来の夢は?

田中 将来的に私は憧れられるテニスプレーヤーになりたいと思っています。上地結衣選手が海外でトップ選手と戦っているのが衝撃的で日本人でも世界と戦えるのを証明できるようなプレーヤーになりたいと思っています。

―改めて田中に車いすテニスの魅力を聞いてみた。

田中 たくさんの人の支えがあるというのがとても大きいと思います。車いす自体、たくさんの人の支えがあってできているものですし、車いすテニスという障がい者スポーツがまだまだ普及できていない中でテニスで食べていけるということは本当にたくさんの人の支えがないとできないことだと思います。

(2016年7月4日~7月8日放送分より)

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(月曜~木曜は「土屋礼央 レオなるど」内、金曜は「金曜ブラボー。」内)
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