これも“ジュリーが書いた曲”?! 歌謡曲ここがポイント!

歌謡曲 ここがポイント! チャッピー加藤(ヤンヤンハイスクール講師)

最近、ますます注目されている昭和歌謡。
この講座では、日本人として最低限覚えておきたい歌謡曲の基礎知識を、わかりやすく解説していきます。

今月から、沢田研二の全国ツアーがスタートします。7月26日の東京国際フォーラムを皮切りに全国で38公演が予定されていますが、以前も書いたとおり、デビュー以来半世紀近く第一線で活動、毎年アルバムを出し、ツアーを行っているアーティストは世界広しといえどもジュリーだけでしょう。

6月25日に68歳のバースデーを迎えたばかり。年齢など関係ないパワフルぶりもさることながら、自ら作詞したメッセージ性の強い曲をステージで歌う戦闘姿勢には、ただただリスペクトです。そしてジュリーは優れた作曲家でもあります。今回はジュリー自ら作曲し、歌った名曲を見ていきましょう。

コバルトの季節の中で

1971年のソロデビュー以降、ジュリーが最初に自分で作曲したシングル曲は、1976年9月発売『コバルトの季節の中で』です。爽やかでいて、どこかもの悲しいジュリーの曲。1975年『時の過ぎゆくままに』、1977年『勝手にしやがれ』と2つのビッグヒットに挟まれたこの曲ですが、ジュリーファンの間では非常に人気の高い曲です。

作詞は小谷夏が担当。演出家・久世光彦のペンネームです。久世はタイガース時代からジュリーに惚れ込み、ラブレターにも近い企画書を書いてようやく実現させたのが、ジュリー主演のドラマ『悪魔のようなあいつ』でした。

『コバルト…』の歌詞は、主人公が愛する「あなた」のすることを全て肯定し、ずっと見守っていきたいという思いに溢れていますが、それは(変な意味でなく)ジュリーに心から惚れ込んだ演出家の思いが、そのまま投影されています。そしてジュリーもその純な思いに、見事に応えました。二人の親交はその後も続きますが、そんな“男の友情”を背景にした珠玉のラブソングと言っていいでしょう。

渚のラブレター

1981年から1982年にかけ、ジュリーは3作連続でシングル曲を自ら作曲します。まずは1981年5月、夏の化粧品キャンペーンソングになった『渚のラブレター』をリリース。オールディーズ風で、ちょっと切なくなるロッカバラードですが、ジュリーの幅の広さを感じる一曲です。

ス・ト・リ・ッ・パ・ー

続いて9月に発表したのが『ス・ト・リ・ッ・パ・ー』。これもストレートなロックンロールで、この時期のジュリーは自分の原点を探っていた時期でした。ジャケットに注目してほしいのですが、「JULIE & EXOTICS」というクレジットになっており、あくまで自分はソロシンガーではなく、バンドのボーカリストである、という姿勢を強調しています。EXOTICS(エキゾティクス)は、リーダーの吉田建(ベース)、柴山和彦(ギター)、上原裕(ドラムス)など腕利きのミュージシャンによるバンドで、1984年まで、ジュリーのバックを務めます。ジュリーのバンドサウンド回帰を手助けし、現在の活動につながる重要な役割を果たしました。

麗人

さらに1982年1月、今度は『OH!ギャル』(1979年5月)以来離れていた作詞家・阿久悠と久々にコンビを組み、『麗人』をリリース。阿久の回想によると、この曲は詞が先だったそうで、ジュリーは「さあ、この詞に曲をつけてみろ!」という大御所の挑戦状を受けて立ち、堂々と「歌謡曲」を書いてみせました。しかもテンポを自在に変え、一筋縄ではいかない曲作りには、何かをつかんだ感さえあります。

作詞面でもそうですが、ジュリーの曲の特徴は、計算よりも、内面から自然と湧き出してくるイメージを大切にしているところです。ちょっと変わったコード進行の曲が多いのも、そのせいかもしれません。他のアーティストに提供した曲もたくさんありますので、機会があったらぜひ聴いてみてください。

“ジュリーが書いた曲”ここがポイント!
<このアーティストにも曲を書いていた!>

・ザ・ピーナッツ『東京の女』(1970年)
…タイガース在籍時に作曲。姉の伊藤エミは引退後、ジュリーと結婚。

・アン・ルイス『ラ・セゾン』(1982年)
…作詞は三浦(山口)百恵。ナベプロ&ホリプロの奇跡のコラボ作。
・松平健『Boyと呼ばれた頃に』(1984年)
…マツケンのアルバムにも曲を提供!作詞は尾崎亜美(京都つながり)。

【チャッピー加藤】1967年生まれ。構成作家。
幼少時に『ブルー・ライト・ヨコハマ』を聴いて以来、歌謡曲にどっぷりハマる。
ドーナツ盤をコツコツ買い集めているうちに、気付けば約5000枚を収集。
ラジオ番組構成、コラム、DJ等を通じ、昭和歌謡の魅力を伝えるべく活動中。