ホッピーハッピーバー スーパーサブに抜擢された
落語家の立川志ららさんが、ミーナさんと共にお邪魔したのは
台東区根岸5丁目にあります、地酒のお店「鈴木酒販」さんです。
二日目も鈴木利昭会長に、貴重なお話しを伺いました。
戦時中は、お父さんは出征され、ご家族はお父さんの実家がある
山形へ疎開されていたそうです。
やがて戦争が終わると、お父さんも無事に復員され
家族みんなで東京に戻ってくることができたそうです。
その時、上野駅に降り立った時の一面焼け野原状態の東京の景色は
今もよく覚えていらっしゃるそうです。
くしくもホッピーが発売されたのも戦後間もない昭和23年。
焼け野原の東京で、人々に元気を与えたホッピーを作った
創業者の石渡秀さんも、きっと少年だった利明会長が目にした光景と
同じような状況をご覧になったのかもしれません。
そして日本の復興のために、大衆酒場「蔵元」からスタートした
鈴木商店さん。
その後、利昭会長のお父さんである、藤吉さんは酒販免許も取得され
念願の山形屋酒販を創業されます。
創業といっても、家族三人と従業員1人の
わずか四人でのスタートだったとか。
当初は自転車にお酒を積んで回られていたそうですが
その後、当時発売されたばかりの三輪車、ミゼットを購入して
行動範囲が一気に伸びた
なんて話も、収録の合間に伺いました。
そして気がつけば各地に販売所を置き、50キロ圏内は
自前で販売できるまでになり、東京でも屈指の酒販店になられたそうです。
聴けば聴くほど、奥が深い鈴木酒販店さんと、三ノ輪の歴史は
明日以降も、たっぷりと紹介しますので、
どうぞ、お楽しみに!
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