看板娘ホッピー・ミーナのHOPPY HAPPY BAR
まもなく一日が終わろうという夜10時前。
ホッと一息ついているアナタに向けて、ホッピー・ミーナが、明日の活力を充電するための秘訣を届けます。
ホッピー・ミーナとは、ホッピーのPRのために日本全国を駆け回っている“空飛ぶ看板娘”こと、ホッピー・ビバレッジの代表取締役社長・石渡美奈。
垣花正アナウンサーと一緒に、軽快で元気なトークと、聴くだけでハッピーになる話題をお送りしていきます。

番組に対するご意見はhoppy@1242.comに

Hoppy Happy Bar ポッドキャストはじめました!
HOPPY
ラジオ大阪 東海ラジオ
石渡 美奈(いしわたり・みな)
68年、東京生まれ。90年立教大文学部卒、日清製粉、広告代理店を経て97年に家業のホッピービバレッジ(旧コクカ飲料)に入社し広報宣伝を担当。2010年に社長に就任。
垣花 正(かきはな・ただし)
1972年、沖縄生まれ。ニッポン放送アナウンサーとして入社以来、昼間から深夜までの様々な番組を担当。人懐っこい性格で、幅広い層のリスナー、特に熟年女性からの人気を掴んでいる。
インターネットで聴く
4/20え!月島もんじゃストリートが消える? bacnumberlist
地下鉄 月島駅七番出口から 徒歩2分 月島もんじゃストリートにあります
もんじゃ太郎さんから2週間に渡ってお届けしています。

江戸時代、江戸の町は、運河の町でした
隅田川も船の航路として賑わい、当時の人やモノの輸送に
欠かせない交通の大動脈でしたが、時を経ていくにつれ
堆積する土砂が年々川を浅くさせ、舟の航行にも
影響を及ぼしていったため 明治に入り
隅田川を浚渫(しゅんせつ)することになりました

この時に出た土砂の有効な使い道として佃島の南側を
埋め立てたのがはじまりといいます。
佃島に続いて、月島の埋め立て一号が完成したのが明治26年
さらに27年に2号地が完成、これが現在の勝ちどきになります。

最近は近代的なタワーマンションがそびえる中
東京大空襲の戦火も逃れた昔ながらの建物や路地も残る
貴重な町でもあります。
     
ホッピーの創業者 石渡秀さんが生まれたのが
明治28年ですから、月島とほぼ同じ年!
ミーナさんのお祖父様と同じ時代を見てきた町ということになります。
      
小林さんも、昔から月島にはよくいらしてたとか?

高層マンションが建ち並ぶ
もんじゃストリートも、数年後には高層マンションになることが
決まっているんです!
という衝撃の事実も伺いましたが、その前にあなたも
古き良き月島で、たくさんの想い出を作って下さい。
 

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