ホッピーだけでなく、最近はホッピーを創った石渡家の皆さんにも
惹かれているニッポン放送の垣花正です。
ミーナさんのひいおじいちゃん、五郎吉さんが駆け落ちして
赤坂に辿り着いたという話はおととい、紹介しましたが
昨日はホッピーの生みの親、ミーナさんのおじいちゃん
石渡秀さんについて伺いました。
五郎吉さんの仕事は、大工だったんですが、近くに陸軍の連隊があって
何かの縁で、連隊に収める和菓子を作ってみないか…という
話が舞い込んできたそうです。
悪い話ではないけど 職人気質の大工の自分には難しい。
じゃ…と8人いる子供の中で一番向いてそうな子にやらせてみるか…と
白羽の矢を立てたのが、次男坊だった秀さん。
その時、秀おじいちゃんは、まだ小学生だったそうです。
みんなが働き者だった時代とはいえ、小学生にして店を任されたおじいちゃん。
近所のお菓子やさんにも手伝っても赤坂にあった5つ連隊すべてに
和菓子を収めたそうだからスーパー小学生ですよね。
で、軍でもお菓子が評判になって、次はラムネも作ってみろと発注をもらって
ラムネを作ることになるんです。
その時に作った会社が、自分の名前とラムネの水を一文字づつ取って作った
「秀水舎」。
現在のホッピービバレッジ株式会社のルーツとなっているんですね。
小学生にしてビックチャンスを活かしたおじいちゃんですが
ミーナさんも失敗を恐れない前向きな勇気は負けてないような気がするのは
私だけではないと思います。
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