看板娘ホッピー・ミーナのHOPPY HAPPY BAR
まもなく一日が終わろうという夜10時前。
ホッと一息ついているアナタに向けて、ホッピー・ミーナが、明日の活力を充電するための秘訣を届けます。
ホッピー・ミーナとは、ホッピーのPRのために日本全国を駆け回っている“空飛ぶ看板娘”こと、ホッピー・ビバレッジの代表取締役社長・石渡美奈。
垣花正アナウンサーと一緒に、軽快で元気なトークと、聴くだけでハッピーになる話題をお送りしていきます。

番組に対するご意見はhoppy@1242.comに

Hoppy Happy Bar ポッドキャストはじめました!
HOPPY
ラジオ大阪 東海ラジオ
石渡 美奈(いしわたり・みな)
68年、東京生まれ。90年立教大文学部卒、日清製粉、広告代理店を経て97年に家業のホッピービバレッジ(旧コクカ飲料)に入社し広報宣伝を担当。2010年に社長に就任。
垣花 正(かきはな・ただし)
1972年、沖縄生まれ。ニッポン放送アナウンサーとして入社以来、昼間から深夜までの様々な番組を担当。人懐っこい性格で、幅広い層のリスナー、特に熟年女性からの人気を掴んでいる。
インターネットで聴く
5/17チャンスとやる気が成功の素 bacnumberlist
ホッピーだけでなく、最近はホッピーを創った石渡家の皆さんにも
惹かれているニッポン放送の垣花正です。

ミーナさんのひいおじいちゃん、五郎吉さんが駆け落ちして
赤坂に辿り着いたという話はおととい、紹介しましたが
昨日はホッピーの生みの親、ミーナさんのおじいちゃん
石渡秀さんについて伺いました。

五郎吉さんの仕事は、大工だったんですが、近くに陸軍の連隊があって
何かの縁で、連隊に収める和菓子を作ってみないか…という
話が舞い込んできたそうです。

悪い話ではないけど 職人気質の大工の自分には難しい。
じゃ…と8人いる子供の中で一番向いてそうな子にやらせてみるか…と
白羽の矢を立てたのが、次男坊だった秀さん。

その時、秀おじいちゃんは、まだ小学生だったそうです。
みんなが働き者だった時代とはいえ、小学生にして店を任されたおじいちゃん。

近所のお菓子やさんにも手伝っても赤坂にあった5つ連隊すべてに
和菓子を収めたそうだからスーパー小学生ですよね。  
で、軍でもお菓子が評判になって、次はラムネも作ってみろと発注をもらって
ラムネを作ることになるんです。
     
その時に作った会社が、自分の名前とラムネの水を一文字づつ取って作った
「秀水舎」。
現在のホッピービバレッジ株式会社のルーツとなっているんですね。

小学生にしてビックチャンスを活かしたおじいちゃんですが
ミーナさんも失敗を恐れない前向きな勇気は負けてないような気がするのは
私だけではないと思います。
 

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