先日のホッピー社の創業者、石渡秀さんの足跡に続いて
今週はホッピー65周年記念企画
ホッピー社の二代目!ミーナさんの父上にもあたる
石渡光一会長の半生を駆け足で紹介して参ります。
光一会長は、1936年 昭和11年2月8日生まれ。
イラストレーターの和田誠さん 毒蝮三太夫さん 横尾忠則さん、桂歌丸さん
映画字幕の戸田奈津子さんらと同じ年にあたります。
もちろん、赤坂生まれの赤坂育ち
生まれて18日後に赤坂界隈も揺るがした 2・26事件が発生しますが
ミーナさんの誕生日が2・26というのもご縁なのかもしれません。
昔は、赤坂5丁目交番の近くホテル陽光さんがある場所に
家と工場があったそうですね。
実は石渡家の次男坊で、お兄さんがいらしたけれど
戦時下に 不慮の事故で18歳で亡くなられたことで
その後、お父さんの仕事を手伝われることになります。
戦後、長野から東京まで機械を運ぶ手伝いをしたのが小学4年の時
そしてホッピーが生まれるわけですが、空き瓶不足を解消したのが
赤坂に駐留していた進駐軍から出るガラス瓶。
今のミッドタウン東京にあった場所にお父さんと一緒に出かけて
瓶を回収し、洗浄して使ったそうです。
ホッピーのボトルがどことなくアメリカンなイメージがあるのも
当時の名残りなんですね。
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