今週は ホッピー65周年記念企画!
ホッピー社の二代目 石渡光一会長物語をお届けしています
お父さんで、創業者である秀さんに、社会勉強してこい!と言われ
慶応大学を卒業したミーナさんのお父さんが選んだのは
ホッピー社に入社…ではなく証券会社でした
ちょうど高度成長がはじまりの頃で その先陣を切るように
活気があったのが証券業界だったとか。
初任給は低かったものの、やり甲斐のある仕事で
大きな取引も少しづつ成功し、これから、さらに大きな仕事を
任せられるようになるぞ!
と光一さんも腕まくりをした頃
お父さん秀さんから「そろそろ証券マンを辞めてうちに入れ」
という命令が下ったとか。
その直後に株式相場が急騰!
社員の給料もぐんと上がったそうで
「今頃、同僚は仕事も楽しくやってるんだろうな」と思いながら
ホッピーを作り続けていたとか。
昭和45年には、赤坂にあった工場の目の前で
千代田線の工事がはじまったのをきっかけに
高度成長と共に水も汚れる都心から
きれいな水を求め、交通の便がいいところといって探したのが
調布だったそうです。
新設した調布工場では3トンタンクが7基あったそうですね。
それが次第に拡張し、2011年には最新の設備も導入され
生産能力も飛躍的に上がりました!
当たり前ですが、ホッピー社の変革の歴史は、
常に光一会長の苦労と努力の結晶といえますね。
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