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8時のGOOD STORY
『看護師の夢』・・・
医療コーディネーターの養成などを行っている市民団体が、
市民に最も求めるケアを実践している看護師に贈る
「ナース・オブ・ザ・イヤー」・・・そして新しい可能性を
感じさせる看護師に贈る「インディペンデント・ナース賞」・・・
今年、この2つの賞を受賞した人がいます。
菅原由美さん53歳・・・菅原さんは1996年から
神奈川県の藤沢市で訪問ボランティアナースの会「キャンナス」を
運営しています。
果たしてどんな活動が評価され、今回の二冠達成となったのか?
菅原由美さんは東京生まれ・・・2歳のときに鎌倉へ引っ越します。
その理由の一つはあまりにも病弱な体質だったための転地療法。
親は医師から「この子は十歳まで育たない・・・」と言われたそうです。
入退院や通院を繰り返していた幼いころの記憶と言えば・・・
病院の消毒のにおいと医師や看護婦たちの白衣しかなかったといいます。
成長して健康になってからは学校の保険委員やガールスカウトでの
赤十字社の研修などを通して自然に看護師に憧れるようになります。
「女は働かないでさっさと嫁にいけ」といった考えに凝り固まった
古いタイプの企業戦士だった父親からやっとの思いで許しを得て
鎌倉女学院から東海大学の医療技術短期大学へ進学・・・
看護師の国家資格を取得したのは、1977年のことでした。
菅原さんが最初に配属されたのは大学病院の集中治療室。
「私に勤まるところじゃない」と母校の先生に相談にいくと
あなたしかいないのよ・・・これが先生の答えでした。
当時の集中治療室はまだ細分化されておらず新生児から
高齢者までが一つの部屋・・・毎日のように多くの死と対面しなければ
なりません。
それどころかまるで寿命の予測までして平然としている自分に
愕然としました。
これは普通の間隔じゃない、人間としての感性が失われていく・・・
そんなことを考え始めた菅原さんに父親からの命令が届きます。
「すぐ家に戻れ、母親の看病をしろ。自分の親の面倒も見ないで
何が看護師だ」狭心症と躁鬱症のため体調がすぐれない母親。
また高校時代に出会った男性との婚約も整っていた菅原さんは
父の言葉に従うしかありませんでした。
こうして憧れだった医療の現場をわずか10ヶ月で去った菅原さん・・・
おかげで母親はすぐに健康を取り戻しましたが結婚後の数年間で
ご主人の祖母と両親、自分の父親と4人の家族を見送りました。
家庭に入ってからの菅原さんは診療所の看護師を続けながら
様々な形の活動に奮闘します。けれどもそこで突き当たったのは
「看護師は医師の指示がなければ何も出来ない」という法律の壁!
発生から2週間たった阪神大震災の現場では「医師は一緒ではない
看護師は不要」と言われ悲しい思いもしました。
医師、助産師、ケアマネージャー、薬剤師、鍼灸師・・・
多くの資格がひとりの開業を認められている中、なぜ看護師だけは
何も出来ないのか?訪問看護ステーションの開設にはなぜ2.5人の
人員が必要なのか?この素朴な疑問が菅原さんの活動の原動力です。
「たったひとりの看護師でも開業できる権利をえて、訪問看護の拠点を
全国に星の数ほども作りたい。かかりつけの看護師を育てたい。」
こんな夢に向けて活動を続けている菅原さん。ある時は「法律違反だ」
と保険所に呼ばれ、ある時は「看護師にシーツが変えられるのか?」と
誹謗中傷されたこともあります。
けれども菅原さんの後ろには看護師という国家資格を持ちながら
今は医療現場から離れた何十万人と言う看護師さんがついています。
菅原さんの描く「町の保険室」この夢が叶うのはいつの日でしょう?
投稿時間:2009-06-09 16:47:59
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