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8時のGOOD STORY
『坂本九さんの歌を「社歌」にしている会社』
作詞・永六輔、作曲・いずみたく、
坂本九さんの歌で『見上げてごらん 夜の星を』・・・。
この歌を、入社式、社員旅行、ミーティングなどのときに、
社の歌=「社歌」として愛唱している会社があります。
株式会社「タス21」・・・学習塾やラーメン店「九州じゃんがら」の
経営母体となっている会社です。
社長の下川高士(しもかわ たかし)さんは54歳。東京の目黒に生まれました。
下川さんが小学校の3年生のとき、ご両親は事情があって別居。
一人息子の下川さんは母親と一緒に、その郷里である九州の熊本で
少年時代を過ごします。
母親を「ママ」と呼ぶ習慣、東京の言葉遣い。最初はひどいイジメに
遭ったそうです。けれどもお母さんは、いつも言いました。
「あなたには父親からもらった才能がある。お父さんは強い人です。
どんなに大きな子が来ても、自分のコブシで闘ってごらん」
原子力の研究者だった夫の悪口を、決して言わないお母さんでした。
下川さんが上京したのは、慶応大学の法学部に進学したため・・・。
卒業後、大手の飲料メーカーに就職して、配達のパートの主婦たちと
バリバリ働きますが、本社の海外部に配属されたとき、気づきます。
「オレは、人とじかに触れ合うことができる現場が好きなんだ!」
こうして下川さんは25歳の時、仲間たちと小さな学習塾を開きます。
塾は、学生時代のサークル「ブルドック カンパニー」の名を取って
「ブルカン塾」と名付けました。3人の仲間で借りたアパート暮らし。
学生時代の家庭教師の経験があるとはいえ、最初に集まった生徒は、
たったの3〜4人。それでも胸の中は、希望でいっぱいでした。
下川さんは、「幸せの条件」について、こんなふうに言います。
「幸せとは、心と言葉と行動の三つが一致しているってことなんです」
それに下川さんには、狭いアパートでギターを鳴らしながら口ずさむ
歌がありました。それを一緒に歌う仲間がいました。
『手をつなごうボクと 追いかけよう夢を
二人なら苦しくなんかないさ』・・・。
『見上げてごらん 夜の星を』の歌詞そのもののような熱い青春。
学習塾の運営は順調に進み、半年で生徒は50人に増えました。
けれども下川さんの前に、次の問題が立ちはだかったのです。
勉強熱心な中学2年生の女の子が「お母さんと田舎へ行くので、
夏の合宿へは行けない」と言い出しました。
けれどそれは、母子家庭の家計を心配した女の子の悲しいウソで
あることが分かりました。下川さんは言いました。
「お母さん! 本人が合宿に参加したければ参加させて下さい。
費用なんか、いつでもいいですよ!」
経済的な事情のある家の子からは、授業料を取れない・・・。
こうした「ブルカン塾」の姿勢は、その財政を圧迫していきました。
とうとうある日、下川さんは決断します。
「このボランティ状態のままでは、自分たちの体力の消耗とともに、
塾は崩壊してしまう。何か、経済的な基盤になるものを作ろう!」
レンタルビデオ、お墓のそうじ、クリーニング店・・・仲間は必死で
自分たちに出来そうなことを考えました。
こうして誕生したのがラーメン店「九州じゃんがら」でした。
秋葉原の小さなスナックの跡に開いた一号店は、わずか10席。
下川高士(しもかわ たかし)さん、30歳の新しい旅立ちでした。
東京の人に「味が濃すぎる」と言われれば、野菜をたくさん入れ、
九州の人に「本場の味と違う」と言われれば、九州で修業をやり直す。
こうした努力の甲斐あって「九州じゃんがら」は今、秋葉原本店の他、
原宿、赤坂、日本橋、神田と、都内の一等地に進出。
赤坂店に、小泉元総理が来店したときは、ニュースになりました。
原宿店に、永六輔さんが見えたときは「あの歌」のことを話しました。
永さんは、うれしそうに聞いてくれたといいます。
夢を追いかける情熱と素晴らしい歌と熱いラーメンに守られて、
「ブルカン塾」の子どもたちは、今日も元気に勉強しています。
投稿時間:2008-10-16 12:36:04
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