百家争鳴。
ひと度ブーム来たりなば、こうなることは望ましい。
落語ブーム、のようなものが活字にまで普及してきた。
放送は送りっぱなしですから〜、
なんて無責任なことを言っていたのは昔のことで、
今や、片言隻句に文句つけられる時代、
大先輩の活字メディアにおいておや。
まぁ、小山ゆうえんち。
まだあるってね、栃木に。
温泉施設も充実して地元じゃ大人気と聴取者が教えてくれました。
文句も含め受け手の当初は大事。
特に、活字は後々、孫引きされるので、主張と事実を混同しないで、
読み取らなければなりません。
まして、権威あるものとなるとなおのこと。
「文学界」(文芸春秋)の九月号が、表紙にでかでか、
落語の探求と中村文則の活字で、目を引きます。
小谷野敦という気鋭の評論家が、わたくし、これまでこの人、
こやつい奴、面白いと読んでいたのですが、がっかり。
まず、目次の真ん中、特集・落語探求の囲みの中に、
「落語を聴かない者は日本文化を語るな」と、
思わず、頬ずりしたくなるよな小谷野論文。
いいぞいいぞ、我が意を得たりってなもんです。
近頃、ヨイショばかりの落語評論が目立つ中、
実に辛口で、気持ちいいくらい、ヒリヒリするのですが、
なんだか甘い。
妙なものを食わされた感じ。
文末に、とんでもない事実誤認。
九仞の功を一き(※たけかんむりに貴)に。
これによって、前で展開されてる高説もやっぱ、
たいしたことねぇやということになる。
いわく。寄席に行かない理由は、下手な落語ばかり。
小さんを継ぐ、三語楼が下手なことも、みな、知っている。
円歌のごとき、二流落語家を会長に戴いてと大変な勢い。
今日まで上野・鈴本は、その円歌が昼の主任で連日、札止め。
夜も立ち見の大入り。
私は猛暑の中、二時間、並んで、味わった権太楼の「火焔太鼓」、
さん喬の「火事息子」を生涯、忘れないことでしょう。
二人の会ですが、他も負けじと、志ん輔「小言幸兵衛」、
歌武蔵「親子酒」、三太楼「十徳」も見事。
そりゃ、下手なのも居ますよ。
だからいいのに出くわした時の喜びったらない。
先代・正蔵の、円生の「火事息子」、いい。
「火焔太鼓」は志ん生でしょう。
でもね、満員の客と伴に笑うのが落語のよさ。
書斎から出ましょうや、小谷野さん。
最後に、川柳川柳の「ガーコン」が、
もとは古今亭右朝がやっていたことを教えてくれた李君と、
己の知識の曖昧さを他人のせいにしてるが、
これは川柳の作品であることは、落語を知る者の常識。
次号に訂正を求めたいほどの大間違い。
三語楼の「青菜」(新宿・上席落日)も、主任でたっぷりいい出来。
そして、浅草演芸ホールは、昼過ぎに入ったら座れない超人気。
亡き志ん朝が復活させた「住吉祭り」が、華やかに今日まで。
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