夏を制する者は、受験を制すると言いますが、
図書館に行ったら、やってましたね、ねじり鉢巻きはしてないけど。
おでこに冷えピタとか熱さまシートなんてのを
貼っつけてんのもいました。
ま、なんにしろ若者の真剣な表情ってのはいいもんで、
昔、古文の教師が言ってくれた言葉を思いだしました。
「なドッペりそ」。
「ドッペる」はドイツ語の重複の意味から転じて、
留年する、落第する。
そして古文でおなじみの「な…そ」という、軽い禁止の形を合わせて、
やんわり、そうならないように勉強してねという激励。
学問の神様、菅原道真が、大宰府に流され、
歌った「春な忘れそ」ってのは、まさにこれですね。
人間、絶対、忘れんなよ、落ちんなよって強権的に言われるより、
すんなり身に入る。
「揺れな忘れそ」と今こそ、唱えましょう。
今年は揺れが多いから、大丈夫でしょうが、
どうも九月一日を過ぎると防災意識がどこかへ行っちゃって、
喉元過ぎればってことになりかねない。
季語や歳時記と同じ扱いじゃ困ります。
防災エブリデー。
東京消防庁第八消防方面本部・消防救助機動部隊一部部隊長という、
名刺の肩書きは長いけど、話は簡潔、決断早く、
指示は端的なリーダー、清塚光男消防指令に、
立川での訓練の合間をぬって、話を聴いた。
来月、早くも一年を迎える新潟県中越地震の災害現場で、
陣頭指揮にあたった人といえば、土砂に埋もれ、瓦礫の山から、
幼い男の子が救出された、あの感動的なシーンを思い出すことだろう。
わたくしも、あの救出劇が脳裏に焼きついていて、
地震の話を聴くなら、あの現場にいた消防の人だと狙いを定めて行った。
ところが、清塚さん、言いました。
「ゆうたちゃんを救い出すことが出来た喜びよりも、
まゆちゃんを、お母さんを助けられなかった無念の方が大きい」と。
新潟の災害でしたが、はるか東京の部隊が、行きました。
所謂、ハイパーレスキュー隊、新潟には無い。
阪神淡路大震災までは、日本の消防には無かった。
警察、自衛隊任せ。
その両隊も、うまく機能せず、被害が広がったことは記憶に残る。
悲しいかな、人間、事が起きて、ようやく準備をする。
多くの犠牲の上に、次の手が打たれる。
だから、これを無駄にすることがあってはならない。
忘れてならないのは、犠牲者のことだ。
瓦礫の山を目の当たりにして慄然とした清塚さん、
まして、着く直前、バスの中で、震度6の余震を体験。
二次災害が、東京の家族が、頭に浮かんだ。
「自助、共助、公助」の理念をかみしめ、繰り返し、山に入った。
清塚隊長、にこやかに
「皆さんもそうですよ。自助、共助、公助の順ですよ」。
な、忘れそ。
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