七五三、四年前のこの日は、大誤算でした。
はるか昔の自分自身の七五三を思い出し、
多摩川縁の幼稚園と、そこに通うために集合する
八幡神社が浮かび、ひとり浮かれ気分、
この喜びを分かちあいたく地元の友達に知らせ、
京急川崎駅近くの居酒屋で祝杯をあげました。
「株式会社横浜ベイスターズ」のオーナー変更を、
この日、開催の日本野球機構の実行委員会が発表したのです。
今年、阪神タイガースは、日本一を逃したものの、
こんなにも早く、優勝できて羨ましい限り、
ベイスターズが優勝、日本一になったのは、
ついこないだのことのようですが、もう、七年も経つ。
佐々木は居なくなり、齋藤も。寂しくなりました。
この球団は、常に身売り話にさらされ、
わたくしは「ホエールズ子供会」時代から耳にしてました。
でも、初の日本シリーズを争ったオリオンズよりも、
初の日本一をもたらしてくれた知将、名将、三原脩が追われた巨人に、
三タテ食らわせたライオンズよりも長く、
マルハ大洋漁業の熱意により、
阪神と似た野武士集団的な伝統は、守られてきた。
今の子供たちは、脳の発達もいいのか、
二、三歳のときの記憶もあるというが、
私の場合は、当時、公害都市と蔑まれた川崎に
日本一のプロ野球チームが誕生し、幼稚園の友達挙って、
できたばかりの大洋ホエールズ子供会に入った
五歳の頃がやっと。
以来、私は、アンチ巨人の人生。
危うく、アナウンサー最終試験で、当時の専務から
「好きなチームは」と問われ、
「川崎生まれの川崎育ち、なんと言っても大洋です」、
「うちはジャイアンツしかとらねぇぞ」。
ニッポン放送が、毎晩、ジャイアンツナイターをやっていたのは
知っていたが、好きなものには弱い。
「ジャイアンツは二番目に好きです」
「調子ええヤローだな」でぎりぎり救われた。
逆に運のいいことに新人アナの年。
読売新聞ニュースを流さなければ、
ジャイアンツ戦を中継させないという問題が勃発、
対抗上、ニッポン放送はホエールズに資本参加。
私は、大っぴらに応援できるようになり、
二度目の日本一を、甲子園と横浜でビール掛けという
最高の美酒で味わいました。
その三年後、ニッポン放送がベイスターズのオーナーにという
夢のような発表。直後、今も大騒ぎの二球団問題で、
多局にベイをさらわれたのは、記憶に生々しい。
今度は、USENの噂、球団名は変わらないから
良しとしますか。
この際、他の球団も皆、企業名をはずし、
地名にしたらどうでしょうか
「大阪タイガース」「東京ジャイアンツ」、
スワローズが困っちゃうけど、やっぱ「東京スワローズ」。
東京プレーオフをやって、勝った方が地方に行くか、
東京に残るか好きにする。
もう一遍、渡邉恒雄VS古田敦也ってのを観たい。
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