下のわたくしの略歴をご覧下さい。
エープリルフールじゃぁない。
辞令の交付は、あさってお台場で行われるのですが、
今日から私、フジテレビの人間となりました。
一九七七年四月のニッポン放送入社ですから、
アナウンサー三十年目、まさか、よもやテレビとは、
ただただ、びっくりです。
テレビを観るのは大好きですが、
送り手という立場は考えたことは
考えたこともありませんでした。
昭和三十年(一九五五年)生まれで、
物心ついたときには、家にテレビが来た元祖テレビっ子世代。
「シャボン玉」「てなもんや」で育ち、
こりゃ日テレとTBSですが、「お笑いタッグマッチ」
「ザ・ヒットパレード」「ビートポップス」と、
フジテレビで成長。
中学入学と同時にオールナイトニッポンがスタート、
ラジオに魅せられ、今度は深夜放送第一世代に。
ミーハーです。
憧れのニッポン放送入社、念願のオールナイトニッポン担当。
ただし、午前三時からの第二部。
それも、第一部の南こうせつさんが作曲してくれた
「つかちゃん音頭」のレコード化を土産に一年で降板。
以来、第一部にはまるで縁がなく、
一九八六年、テレビは勿論、どこのラジオもやってなかった
午前五時からの生放送帯番組「朝からたいへんつかちゃんです」を敢行。
大阪の局からは「そない時間、聴く人いるんでっか」と言われ、
しょげてましたが、当時オールナイトニッポンでスターになった
ビートたけしさんから「いいじゃねぇか、第三部だよ」と
妙な励まされ方をして、毎日、午前二時起きの生活を八年。
アナウンサーは神経をやられるときつい、
お前は、夜の巷が大好きなんだから「今まで通り、やれ」という
酒好きの先輩の言葉を真に受け、いっぱい飲って帰るタクシーが、
出社する迎えのハイヤーよりも遅く着くなんてことも。
確かにそうで、私が朝を始めたのと同時に、
夜のニュースから朝に移ったNHKの大アナウンサーが、
金曜の晩、泥酔のあげくタクシーの運転手さんを
蹴っちゃったという事件勃発。
知らずのうちに、なにかが溜まってて、爆発したくなるんですね。
だから平日もバランス良く飲まなくちゃ。
そこで。目下、私の唯一の心配の種は、
お台場にいい飲み屋があるかということです。
有楽町を建て替える間の七年半、あの馴染みの球体の脇、
二十四階にニッポン放送はいましたが、
ろくな飲み屋がなかった。
有楽町に戻ったのが一昨年の八月三十日、
復活第一声は私が放ちましたが、半年も経たず、ライブドア騒ぎ。
ようやく落ち着いたと思ったら半年も経たず、
フジテレビ移籍の話が出て、ついに本日、その日を迎えました。
愛宕山の昔から、アナウンサー数あれど、
三十年目にテレビというのは、まずない。
ラジオは喋りの原点、現行番組はやり続けます。
引き続き、隅から隅まで、有楽町から台場まで、
ずず、ずいっとお願い申し上げます。
(略歴)
塚越孝(つかごし・たかし)
活きの良い喋りをモットーに今日から、フジテレビアナウンサー。51歳。
ニッポン放送「塚越孝のおはよう有楽町」はこれまで通り放送中。
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