1242 ニッポン放送
つかちゃんコラム
塚越孝
塚越孝
column
6月17日

感ずるところがあって、一昨年の「夏の終わり」に、
キャロル時代の矢沢永吉を聴きながら、
メモに毛が生えた程度の日記をつけ始めた。
住み慣れた有楽町を離れ、建て替える間の7年、
お台場の名物ビル、フジテレビの球体脇に居て、
やっと有楽町に帰った日、その第一声が私が放った
感慨がそうさせたと、記してありました。

読み返してみると、アホみたいな話ですが、
開局50周年を経て、新しい時代の夜明け、
ニッポン放送朝一番の番組、トップバッターとして、
なんて抱負を書き連ねているんですね。
しかし、それは現場のディレクター、アナウンサーのみならず、
社員全員の思いでした。
昭和初期に建てられた権利関係も複雑なビルから、
ようやく自前の9階建ての真新しいビルに移ることができた。
場所は以前と同じ、皇居の森を望む一等地。
お台場で入社した若手も目を輝かせていました。

一方でこの時、どんぐり眼をぎらつかせてるのがいるたぁ。
このインサイダー事件が白日の下に曝され、
思うことが多々あります。
今さら、もう後の祭りよと冷笑する同僚もいますが、
それぞれの立場で検証すべき大事件だったと思います。

外の見えるスタジオで私が、有楽町復帰の声を上げたのが、
9月6日。
村上世彰容疑者が、ニッポン放送株の3分の1を取得すれば
経営権を握れると、堀江被告に持ちかけたのが9月15日。
この日、私は、能天気にもビルの地下に新しくできた今風、
薄暗目のレストランで昼過ぎから、まだまだ残暑、
暑気払いとビールを飲んでいたのです。
午前3時のスタジオ入りなので当然、オフです。
11月8日、村上容疑者は、宮内亮治被告に
ニッポン放送買収について資料を出して会議。
こちとらは、翌日に控えたニッポン放送専属タレント第1号の
名人・3枚組CD、開局50周年記念盤
「お姉さん、つかちゃんの極め付き志ん生」の販促会議。
後、酒好きだった志ん生を偲んで一杯。

年明け、1月17日、明治座で川中美幸観劇の幕間、
ついにフジテレビの子会社にと会社から発表と携帯メール。
翌々日、ニッポン放送の「ズバリジャーナル」で
アシスタントを務めた竹村健一さんの新春勉強会。
目玉の講師は、堀江貴文。
「球団買収はダメだったけど、もうすぐ、
あっと驚くこと発表しますからね」と高らかに宣言。
この20日後、まさか、自分の会社が
乗っ取られる騒ぎになるたぁ。

村上逮捕の翌日、お台場の海を眺めながら、
一緒にフジテレビに来た後輩が
「あの人がいなかったらぼくらここにいなかったかも
しれませんよね」と力なく笑った。

踊った奴の次に、踊らせた奴が。
しかし、私は、合法と言い続けた金融庁、
それを裏付けるような司法判断を下した地裁、
高裁の人たちも忘れることができない。
そして、一度も顔を見せない、彼らに出資し、
支えた奴が誰かわかるまで、
この事件を忘れることはできない。

寿美花代さん&塚越アナ&かおるさん
17日の放送には、寿美花代さんにお越しいただきました。
 
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